UA-77435066-1

消えてしまった北京宮廷料理

 | 

 1311-53千年の歴史とも4千年の歴史とも言われている大中国。中国人が食べないのは2本足なら人間だけ、4本足なら机と椅子だけ空を飛ぶものは飛行機だけ、水を潜るものは潜水艦だけ、という言葉があるように中国は食文化においても大変な歴史を持っています。
 その中でも、最高峰はやっぱり首都であり宮廷があった「料理」は歴史も味も最高級と言えるでしょう……と、いいたいところなのですが、実は北京料理の歴史ってそれほど古くなく、いまの北京料理が生まれたのは60年ほど前。つまり中国共産党が政権をとり中華人民共和国が誕生してからと言われています。毛沢東率いる中国共産党の幹部たちが、北京にあるという山東省の料理を出す店で外国からの賓客をもてなしていたところ、この店の料理が評判になったことから、現在の北京料理が生まれたと言われています。もともと山東省は優秀な料理人が多く、北京の料理も山東省の影響を受けて油っこいものでした。
 いまの北京料理も充分油っこいのですが、この豊沢園飯庄の料理はそれらに比べて上品であっさりしたものであったようで。これが賓客たちに評判となりその名が広まっていき、また、北京の料理店もこの豊沢園飯庄の料理を真似して広まっていったといいます。
 北京は言うまでもなく、金、元、、といった国の都であり、そのうち以外は、中国の9割以上を占める漢民族ではなく異民族であった北方民族に支配されていたという歴史もあります。
 清の時代にあった宮廷料理は清国の崩壊とともに、全中国に散らばったとも言われ、清国時代の満干全席という、数日間をかけて100種類以上の料理を食べるという宴会料理も清の滅亡で廃れてしまい、現代ある満干全席は、宮廷料理の資料から想像して再現したものだといいます。
 もちろん、現代の北京料理にも宮廷時代の影響は強く残っているものと考えられますが、ただ、庶民料理ではなく“宮廷”料理ですからねえ。
 宮廷料理人そのものが、それほど多くいたとも思えず、清が滅亡してから宮廷料理人が、どれくらい北京の市井に行き料理を伝えたかはよくわからないのです。一応、料理史においては、宮廷料理人たちは市井に下って宮廷料理を伝えたってことになっているのですが……
 これがフランス料理の場合、フランス革命後に宮廷料理人がレストランを開いたりしたことがわかっているのですが、中国の場合はちょっとわからない。
 また、中国共産党が中国を支配した後、1966年から1976年にかけてに起こった文化大革命で、過去の知識人文化人は相当数粛清され殺されているんですね。その数3千万人から7千万人。(3千人から7千人ではなく“万人”ですから、凄まじい大虐殺です)
 その粛清の嵐の中、異民族に仕えていた宮廷料理人が「わたしは清国の皇帝にお仕えした料理人でした」と、看板をかかげて商売ができたとは思えず、おそらく世に潜まざるを得なかったのではないでしょうか? 当時の中国では「旧世界を破壊せよ!」「新世界を建設せよ!」というスローガンの下、数多くの伝統的な物事やそれを伝える人々が大粛清されたときでもありました。
 事実、文化大革命のとき、中国の伝統料理店のほとんどが「美食はブルジョア的である」ということで破壊されてしまいました。
 さらに中国では個人経営の料理店が出せるようになったのは、1984年からなのです。
現代に伝わっている北京宮廷料理というのは、後に宮廷料理を資料などから再生させているものと思われるのです。
 ただし、現代北京料理の歴史がたったの60年程度であったとしても、北京料理の価値が落ちるという意味ではありませんので念のため。
 そもそも現代の世界各国の代表的な料理のほとんどは、過去からの民族料理を原典としつつ、ここ100年くらいの間につくられたものですしね。

 (文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)

コメントを残す