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戦争を知らない時代の老武士が殺気を知る太平の世

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0801-1昔、昭和48年(1973年)に放送されていたテレビドラマに、「大久保彦左衛門」というのがあったのですが、覚えておられますでしょうか。

このドラマは、主演の老旗本・大久保彦左衛門に進藤英太郎、魚屋で、その一の子分・一心太助に関口 宏という配役だったと思うのですが実はそれほど詳しく覚えておりません。

元々このドラマ自体、多分、祖父が見ていただけで私はそれほど熱心に見ていたわけではなく、この回にしても、風呂に入ったか何かでその場面だけを見ただけでしたが、30年以上経った今でもはっきりと記憶に焼き付いているある一場面があります。

それは、元武士上がりの魚屋、一心太助が、何かの話で、妻から「どうして、あんたにそんなことがわかるのさ!」と言われ、少し、詰まりながら

「そ、そりゃぁ、おまえ、あれだよ、殺気ってやつだ」と。

「ふん、あんたに殺気なんてわかるのかい!」

「俺だって、元は武士だ。いざって時には、殺気でピピーンとくるのさ」と。

で、その夜、太助の家に泥棒が入り、奥さんが気づいて、慌てて、大騒ぎして泥棒を撃退したところ、布団を見れば太助は高いびきで寝ており、怒った奥さんから、「なーにが、殺気だかねぇ」とつねりあげられると。

で、場面は変わって、同日同時刻の大久保彦左衛門の屋敷・・・。

物音一つしない、大きな座敷で独り寝ていた老武士・大久保彦左衛門が、突然、跳ね起きて、鴨居の上に掛けてあった槍を手に取るなり、障子を開けて、縁側に仁王立ちになる・・・。

「何事で御座りまするか!」と言って慌てて駆けつける家臣に、「わからぬ。わからぬが、そこに誰か居おった」と。

「誰もおりませぬが」という家臣に対し、汗を浮かべながら、「いや、殺気を感じたのじゃ」と、まあ、こういうシーンでした。

確か、このときの、その怪しい奴というのは、徳川家によって大阪夏の陣で滅亡させられた豊臣家の旧臣で、最後の豊臣家当主、豊臣秀頼の子供をかくまっているという設定だったと記憶しておりますが、それはさておき、思えば、このドラマの設定は、すでに、三代将軍家光の治世で、二代秀忠がすでに没していたことを考えると、おそらく、1635年頃の話だろうと考えられます。

となれば、この時代、最後の戦争となった大阪夏の陣からでもすでに20年、その前の、事実上の戦国最終戦争である関ヶ原の戦いからだと35年が経っていたわけで、人間の寿命が50歳と言われ、40歳になると隠居していた当時からすれば、戦争というのは遠い昔の出来事になっていたわけですね。

(関ヶ原当時、15歳だったとしても、ぎりぎり、生きているかどうか。)

無論、架空のドラマですから、一々、真に受けるわけではありませんが、ただ、考えさせられる話ではありました。

つまり、現代の日本と一緒で、戦争を知っている人たちというのは、皆、わずかな老人たちだけであり、本当に戦場を知っている侍というのは殆ど居なかったわけですね。

ちなみに、あるマンガで、夜中に、東京タワーを警備していた警官隊へのテロが行われたときに、付近の住宅で寝ていた老夫婦が、この、ただならぬ物音に目を覚まし、夫人が怯えた声で、傍らの夫に、「お父さん、あの音、何でしょうか?」と言うと、夫は寝たまま、「ああ、あれは機関銃の音だ。昔、南方で聞いたよ」と平然と答えるというシーンがありました。

平和は尊い物です。永遠に続く限りは。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2008.01

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