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領土の侮れない価値

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07-06-3「オリエント(東洋)国家は領土を欲し、オチデント(西洋)国家は利権を求める傾向がある」とは、以前からよく私が申し上げていることですが、その論で言うならば、この、「利権を追求する」という考え方は国益という点では非常に合理的だと思います。
なぜなら、単純に領土を獲得するという行為は、必ずしも、利益をもたらすと決まっているわけでもないからです。
(結果的には負担の方が大きかったにも関わらず、無邪気なまでに領土獲得に狂奔した帝国日本こそがその好例だったでしょうか。)
これらの点を踏まえた上で言うならば、東洋の一員である日本の歴史は、まさしく領土追求の歴史であると言えるのでしょうが、しかし、その日本の歴史にも、少ないながら西洋型の考え方をする人がみうけられます。そのひとりが豊臣秀吉です。
秀吉は、政権獲得の過程において、行きすぎるまでの利権による政権確立を推し進めますが、その結果、天下が確定した後も実は豊臣家の領土は2位の大名とそれほど差が無い・・・・ということになってしまいます。
しかし、その代わりに、あちこちに利権を有することで、財政的にはかなり潤沢な政権運営が可能でとなり、これにより秀吉は覇者としての圧倒的な地位を維持することが出来たわけですが、一方で、やはり、秀吉が死んだ後は、黙っていても収入が得られる「固定資産」の少なさというものが、豊臣家にとっては少々、不利に働いたようにも思えます。
そしてまた、一方で、領土を獲得するという行為についても必ずしも、利点がないわけではありません。
人間活動というものは、かなりの部分を地面や海面などの足下に依存しているものだからです。
即ち、領土という固定資産を保有しているということは多かれ少なかれ、何らかの生産を行うことを可能にする基盤を保有していると言え、この点では、イコールではないにしても、領土保有はある程度の収益が期待できると。
この点は、何だかんだ言っても、今でも、アメリカやロシアや中国など、広大な領土を保有している国が世界に大きな発言力を有していることがその顕著な例でしょうか。
その意味では、秀吉と対照的に、利権よりも領土の拡張と保全にこそ熱心だった人物がいます。
徳川家康です。
家康が、豊臣家から政権を簒奪するに当たっては、やはり何より、秀吉死去の時点で、既に大領土を持っていたことが大きいでしょう。
そして、覇権確立後は、さらに、徳川家の領土を増やし、豊臣家を始め、大領土を持っていた大名を縮小、もしくは取りつぶし、一位と二位の差をさらに圧倒的な物にしていきます。
家康は、その死に臨み、息子、秀忠から、「父上亡き後は伊達政宗などは心配です」と言われたとき、「政宗くらいになれば目分量がわかるから何も心配はいらない」と言ったといいますが、これなどは、「徳川家が確立した圧倒的な領土の大きさ」を指しているのだと思います。
このことからも、領土というものの侮れない価値がわかるでしょうか・・・。
(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2007-06

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