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社会が変革し、定着するときのリーダーのタイプ3態

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13-06-5 「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」の落首でも知られる、織田信長、豊臣(羽柴)秀吉、徳川家康の三将ですが、この「変革」「啓蒙」「定着」という三つのタイプは日本の歴史が大きな社会変革を迎え、それが次の時代へと定着していく時には割りと良く見られるもののようです。
また、三者の性格は、よく、信長の「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」、秀吉の「泣かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」、家康の「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」で知られていますが、要は「激烈」「機略」「重篤」・・・ということだったのでしょう。
それらを踏まえた上で、平安朝という、長く続いた秩序が終わり、武士という新興勢力の台頭という形で社会変革をもたらされた時代に当てはめると、平清盛、源頼朝、北条義時・・・となり、同じく、徳川幕府という古い秩序が、外圧によって近代国家への変革を余儀なくされたケースでは、高杉晋作、坂本龍馬、大久保利通・・・と。
まあ、もっとも、これは、そもそもが、まったくの別人格なわけですから、時代の要請によって微妙にタイプが異なってくるのは当然でしょうが、大久保は家康を敬し、家康は頼朝を敬した・・・という話も聞いていますので、あながち、こじつけという話でもないと思います。
もちろん、北条執権政権も北条義時の代ですべてが定まったわけでもありませんし、幕末維新期だって、何より、西郷隆盛などのように、他に引けをとらない大きな足跡を残した人物を、タイプに当てはまらないからと言って、名を挙げないのも適当ではないでしょう。
(その意味では、幕末維新期というのは、それまでと違い、世界が視野に入ってきたということから考えれば、人材が順番に・・・ではなく、一斉に群がり出たということだったのかもしれません。その意味では、幕末維新期とせずに、長州では吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文・・・、薩摩では、島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通・・・、土佐では、武市瑞山、坂本龍馬、岩崎弥太郎と分ける・・・という見方もあるでしょうか。)

で、このパターンを戦後に当てはめてみると、信長は「ワンマン宰相」と呼ばれた吉田茂、秀吉は「今太閤」と称された田中角栄・・・とまあ、面白いくらいにピッタリですよね。
ただ、家康・・・となると、特に類推される政治家はいませんでしたが、「戦後政治の総決算」を掲げ、また、角栄さんとも微妙な盟友関係にあったという意味でも、中曽根康弘さんだったのかもしれません。
ついでに言うと、小泉純一郎さんは良く、信長に例えられましたが、行き詰まった戦後体制に変革をもたらそうとしたという意味ではそうとも言えるのでしょう。
後は、秀吉、家康が続けばいいんですけどね。(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)2013-06

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