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少し足りないくらいのほうが

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1410-2今、あるテレビ番組の最後で、毎回、「あなたにとってプロとは何ですか?」とゲストに問いかけるシーンがあり、それを受けて様々なゲストがそれぞれに「プロ観」を述べています。
では、「プロとは何か・・・?」を私なりに言わせていただくなら、それはひとえに、「お金をもらうことを意識した上でお金がもらえるものを提供することが出来るのがプロ」だと・・・。
言うならば、ビギナーズ・ラックの対極にあるものだと考えればわかりやすいでしょうか。つまり、無欲で何となくやってみたら売れた・・・というのはよくある話ですよね。
ところが、その後、これに味をしめて、「儲け」とか「報酬」などということを意識してやってみると、意外なほどにまったく売れない・・・などという話もありがちのようです。
最初は、単に、「良い物」を意識していただけが、そこに「欲」という邪心が出てきて・・・、一旦そうなると、もう、「欲を消して初心で・・・」などと考えてもなかなかうまくいかないもののようで、そう考えたならば「敢えて売れる物を作ろうと意識して売れる物を作れる人がプロなんだ」・・・と思うわけです。
そこが、アマチュアとプロとの、大きな一線ではないかと・・・。
報酬とモチベーションということで言えば、徳川家康は、「家臣の禄(給料)を上げすぎるのも、かえって逆効果になることが多い」という意味のことを喝破していますし、最近では不祥事を起こした大企業の社長が自身は驚くくらいの豪邸に住みながらも、社員らにはこれまた驚くくらいの薄給しか与えていなかったことが露見した際に、「上げすぎるとモチベーションが下がる。足りないくらいがちょうど良い」というようなことを言っていたってことがありましたよね。私は、テレビで見た限りでは、この社長氏の人間性はあまり好きになれそうにはなかったのですが、そこで言っていることは、ある程度、真実・・・、いや、現実なんだろうなとも思いました。
古代ローマでは、前線の兵士らには妙にゆとりをもたせると、どんなに心酔している司令官でも、どんな切迫した状態の時でも、途端にストライキを打ち出したといいます。また、最前線で苦労している兵士の待遇を良くするたびに、国家としての、ローマ帝国は凋落の一歩を踏み出していったようにも感じます。
「どんなに最悪の結果となった政策でも、それを打ち出したときには多くが良かれと思って始められた」とはカエサルの言葉ですが、思わず、なるほど・・・と。
所詮、人間とは、「苦」は共に出来ても「楽」を共にすることはできない、人間とは満たされてしまうよりも少し足りないくらいのほうがちょうど良い生き物だと言えるのでしょうか。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)2014-10

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