UA-77435066-1

イラスト入りコラムを約650点収録しています。コラムニストも随時募集中!ニュースレター制作のご相談も承ります。

坂本龍馬暗殺犯異論

 | 

2012-02-5慶応3年(1867年)の新暦12月10日夜、京都河原町近江屋において坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された事件ですが、最近では犯人は京都見廻組説で落ち着いてきたようですね。
私も、7割方はこれで異存はありませんが、まだ、釈然としない部分も感じております。
まず、龍馬は以前にも司直の襲撃を受けたことがあることから十分に警戒していたと考えられ、その為、土佐藩邸の近くで、かつ、刀を振り回しにくい天井の低い部屋がある近江屋の2階を潜伏場所に選び、さらに、用心棒に元力士を雇っていたと言われています。
それなのに、犯人は坂本・中岡を斬る前にその来訪を取り次ごうとしたその元力士を後ろから斬っていますが標的に辿り着く前に部屋の前で他の者を斬ってしまうのはリスクが大きすぎませんか?
仕留め損なったら気づかれるし、普通、狙われる側は些細なことでも身構えて待つものですよ。
それなのに彼らは取次者を斬った後、平然と座って挨拶し、「坂本先生は?」と尋ね、龍馬がこれに応えたのを見ておもむろに小太刀を抜いて斬りつけた・・・と。
これも本来おかしな話で、座ることは当初からの予定であったとしても、暗殺犯は標的の警戒状況如何に関わらず座ってこれを決行したことになるわけで、だとすれば大胆にしてもっとも効果的、彼らの標的を仕留めるまでの20分足らずの動きには、一切の無駄も迷いも感じられず、そこには恐ろしいまでに暗殺慣れしているものを感じます。

次に、犯人を絞り込むうえで、この時期、京都に居て、小太刀の名手で、かつ、室内戦闘の経験が豊富・・・となると、まず、室内戦のプロといえば、どうしても新撰組が思い浮かびますが、この時期、新撰組はますます佐幕色を強めており、であれば、龍馬を討ち取っていささかも隠す必要はなく、むしろ池田屋事件の時のように堂々と犯行声明(?)を掲げたでしょう。
そう考えれば、見廻組には小太刀の名手もいたのでしょうが、むしろ新撰組に比べれば影が薄かった観があるだけに、少なくとも、わざわざ新撰組の仕業に見せかける必要もなかったように思えますし、何より彼らが修練を積んできたのは「暗殺」ではなく「戦闘」だったわけで・・・。
(現場には新選組を疑わせる証拠物件が多数残されていたといいますが、これも、これほど鮮やかな襲撃を成し遂げた輩にしては少し粗雑すぎるように思えます。)
そう考えると、どうにもこういうことに恐ろしく慣れている連中、つまり、幕府の特殊暗殺部隊のような存在があったようにしか考えられず・・・、うがちすぎですかね。
(小説家 池田平太郎/絵:吉田あゆみ)
2012-02

コメントを残す

Top