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吉田松陰を育てた母が説く風呂の効用

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11-04-2 幕末の思想家・吉田松陰について私が強く印象に残った話があります。

松陰の生家は、松陰の母が嫁いでくる以前は極貧の中にあったそうで、何故そうなったかというと、松陰の祖父が異常なほどの本好きで江戸詰め時代も家族への仕送りなどそっちのけで給料の殆どを本の購入にあて、そのまま持って帰国したところ、火事で膨大な本の山は家ごと焼けてしまい、以来祖父は茫然自失のままとなり、一家は辛うじて糊口を凌ぐのが精一杯の状態になってしまった・・・と。
そんな中へ、松陰の母、タキが嫁いできたそうで、この女性は、根っから陽性の人であり、彼女ならば赤貧にあえぐ杉家に明るい空気を持ち込んでくれるに違いない・・・と見込まれての嫁入りだったそうです。
ところが、タキはこの極貧の杉家へ入ると、まず、何をやったか。
何と!毎日、風呂に入ることを宣言したそうです。こういうと、若い方は失笑されるかもしれませんが、思えば当家も私が子供の頃には水道こそありましたが、お湯は薪で焚いてましたよ。(まあ、商売柄材木の切れ端には困らなかったということもあるのでしょうが。)ましてや、江戸期は、蛇口を廻すどころか、井戸からつるべで何杯、何十杯と汲み上げては風呂桶に移し、それから火を起こし(ライターどころかマッチも無い時代です。)、薪をくべ・・・の時代です。
従って、当時は何人もの使用人を抱える大身の家以外、それなりの武家屋敷ですら、入浴は数日おきが普通だったそうです。
当然、初めは周囲も分不相応と反対したそうですが、タキは、その重労働は「すべて自分がやる」ということで説得し事実、後に(松陰ら)子供達が成長して手伝い始めるまで、すべてを一人でやった・・・と。
この辺のタキの心情は、永冨明郎著「武蔵野留魂禄 -吉田松陰を紀行する-」という本によると、「貧しくとも風呂ひとつで心が温まり、翌日への意欲が沸くならばとの思いがあった。貧すれば心までもが貧しくなっていき、更に寒さは一層気持ちを萎えさせる」・・・ということだったそうですが、この話は私も少し思い当たる事があります。
私も以前、ある会社の営業をやっていた時代があるのですが、成績が上がらなくなってくると、人間、声が小さくなるもののようで、そうなると、また不思議に成績が悪くなる・・・。
だから、売り上げが悪い時期が続いていても、気が付く限り、大きな声を出さなければならない・・・わけで、まさしく、「辛いときほど声を出せ!」でしょう。
人間というものは、自分で起こした勢いというものに、自分も巻き込まれるような面があるのかもしれません。
タキは息子松陰が「安政の大獄」で非業の死を遂げて後も生き続け、明治23年に84歳の大往生を遂げたそうですが、この点を、同書も、「心身ともに健康な人であったに違いない」と結んでありましたが、なるほどと・・・思わせられるものがあるような気がします。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

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