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武士といのち

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15-06-3現代人は「武士」と聞くと憧れにも似た気持ちを抱くだろうが、実際の「お侍様」が庶民にとってどれだけ恐ろしい物だったか。戦国期の宣教師は「日本では至る所で普通に殺人が起きている」と驚きを持って記しているが、それは泰平の世を挟んでも変わらなかったようで、幕末に来日した外国人が明治になって回想して曰く、「この国で至って廉価なのが時間と生命。極上の人なら幾分値打ちがあったが下民になると少しも値打ちがない。当時は寂しい所だった一橋御門外滞在中、二度、惨殺死体を目にしたが一人の軽い役人が人足に命じてゴザヘ包ませて片付けただけ。どこの裁判所でも調べなかった。今の日本は貴い人でも無闇に人民を刺す事が出来なくなったから立派だ」と。
同じく、日本の町民が幕末を回想して語った話はもっとリアルである。「ある晩、ホロ酔い機嫌で四谷大通りを夜の十二時近くに帰って来ていると後から石を蹴ってよこす者がある。振り返るとお侍が三人。ゾッとして体が硬直し足が進まなくなった。侍はバラバラと私を取巻いて『無礼な奴だ。石を後蹴に致したな』と言う。慌てて詫びを入れたが、もう、この時には一人が私の襟首を捉え、もう一人は手を押えている。蒼くなって震慄えていると耳の辺で何か言う。『君、危ない!手をどけたまえ…、手が邪魔だ』。つまり斬ろうとする侍が襟首を抑えている侍の手が邪魔になると言っているのである。利那、モウ無我夢中、斬ろうとする侍に突き当り、抜きかけた刀を奪って一切夢中で駈け出した。だが、御濠端を市ヶ谷八幡の所まで逃げおおせると息が切れて死にそうでドブの中へ潜り込んでしまった。ドブの奥の方へ入っていると三人の侍も追いかけて来て長い物干し竿を突込んで掻き廻したりする。ようやく去っていった時の嬉しさ。夜がほのぼのと明けてきたので這い出したら今まで気がつかなかったが犬や猫の死骸の溜っている臭さは鼻をもがれるよう。やがて通りがかった人々が何だと思って寄って来たから前夜の話をすると、いずれも私の好運を祝してくれ、家へ帰ると大騒ぎになっていた」と。
いくら世の中が騒がしくなっていた幕末とはいえ、徳川幕府のお膝元の江戸でもこれなのだから、ましてや人心が荒廃沸騰していた戦国乱世がどうであったか容易に想像がつく。今で言うならクラクションを鳴らした鳴らさないで、すぐに殺し合いが始まる世界を想像すればいいだろうか。日本人が割りと人を殺さなくなったのは島原の乱からで(領民を殺しすぎて納税者がいなくなったため。)、それが定着したのは五代将軍綱吉の御代、悪名高い「生類憐れみの令」からだとか。人間は人間でさえも平気で殺すわけだから、動物虐待に何の疑問も持たなかったであろうことを思えば行き過ぎも致し方なかっただろうか。  (小説家 池田平太郎)

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