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人間の真価は?

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1511-12-5 「今太閤」という言葉があります。低い地位から徒手空拳で立身出世した人のことを太閤豊臣秀吉に引っ掛けて言ったもので、代表的なところでは百姓から初代内閣総理大臣に上り詰めた伊藤博文を筆頭に、高等小学校卒の学歴で内閣総理大臣になった田中角栄、丁稚奉公から「経営の神様」となった松下電器産業(現パナソニック)創業者・松下幸之助などが知られています。が、実は松下より先に、政治家以外で今太閤の称号を与えられた「元祖今太閤」とでも言うべき存在がいます。小林一三です。
この人の特徴はとにかくアイデアマン社長だったことで、倒産寸前だった電鉄会社を安く買い叩いた後で沿線人口を増加させるべく、当時はまだ珍しかった割賦販売で沿線に宅地分譲したのをスタートに、さらに沿線人気を高めるための宝塚歌劇団やプロ野球・阪急ブレーブスの設立。さらに、世界恐慌のさなか、周囲の心配を他所に日本初のターミナル・デパート阪急百貨店を開業させ大成功。その後も、東宝映画、六甲山ホテルと快進撃は続き、昭和15年には商工大臣にまでなった・・・と。
でも、この人、他の今太閤たちと違って、必ずしも最初から凄い人でもなかったんですね。
明治6年(1873年)、山梨県の裕福な商家に生まれ、慶應義塾を卒業後、明治25年(1892年)に三井銀行に入社・・・したわけですが、ただ、当時の三井銀行は前年に経営危機が表面化、要請を受けた福澤諭吉が実甥・中上川彦次郎を再建のために送り込んだばかり。(小林は小説家志望だったから入社したのだとか。)中上川は大口の不良貸付先であった東本願寺への債権回収を指示。「信長以来の仏敵」と非難されながらも一歩も引かず回収に邁進。その一方で、慶応義塾から、藤山雷太、武藤山治、波多野承五郎、和田豊治、朝吹英二、鈴木梅四郎、平賀敏、藤原銀次郎、池田成彬と、後に財界を背負って立つことになる錚々たる人材を迎え入れ、彼らを縦横に使いこなし経営再建に取り組んだ・・・わけですが、これら中上川チルドレンの中に小林の名はありません。
彼らと違い、仕事にまるで身が入らないばかりか、この頃、女性問題まで起こしており、中上川から見ればアウトオブ眼中もいいところのダメ社員。結局、小林は34歳で先行きに見切りをつけ、大阪で証券会社の支配人に転職すべく着任したところ、着いた途端、日露戦争後の恐慌で支配人の話は立ち消え。いきなり恐慌下で妻子を抱えて失業という、どこまでも救いようのない半生。これが今太閤人生のスタートだったわけです。つまるところ、中上川の慧眼をもってしても「男子三日会わざれば刮目して見よ」までは見通せなかったということで、ま、人間の真価なんて結局、そういう所へ追い込まれてみないとわからないってことなんでしょうね。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

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