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世界一周したら何日?

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絵:そねたあゆみ

 さて、「歴史上、初めて世界一周を達成したのは誰だったでしょう?」・・・と問われれば、おそらく、多くの方が1519年出航の「マゼラン」と答えられるかと思います。が、しかし、彼は航海の途中、フィリピンで戦死しており、正確には辛うじて、残った1隻だけがスペインに帰り着いて世界一周を達成したわけで、つまり、「マゼラン」ではなく、「マゼラン艦隊」だったということになるわけです。当時はこれほどに「冒険」だった航海も、その後、19世紀に入ると欧米列強の勢力拡張とともに「旅行」としての移動が可能となってきます。中でも特に、それにはずみをつけたのが日本の開国、特に、アメリカと太平洋を挟んで対面に位置する横浜が寄港地に加わったことは大きく、明治維新の前年の1867年1月1日、アメリカのパシフィック・メール汽船会社によって航路開設(1月24日に横浜到着、1月30日、最終目的地の香港到着)に至ります。さらに1869年には、これに加えて、スエズ運河とアメリカ大陸横断鉄道が開通したことを受けて、1872年、ついに、アメリカで世界初の世界一周団体旅行が敢行されます。

ただ、当時は船旅が主流ですから、これに費やした日数は222日。この点は、航空機が登場するまでは大体、これくらいかかったようで、1902年の岩崎弥之助(三菱財閥創始者)も、1908年の原敬(後の総理大臣)もともに7ヶ月を要しています。もちろん、これらは、行って帰るだけが目的の弾丸ツアーではありませんから、莫大な金を消費しての、のんびり優雅な旅だったことは事実でしょう。

では、最短で世界一周すると何日か?に人々の関心が集まり始めた頃、これを煽るように大ヒットしたのがジュール・ヴェルヌの小説、「八十日間世界一周」で、こうなると、単独でこれに挑もうという野心家が登場するのも時代の成り行き。結果、その栄冠は、うら若き二人のアメリカ人女性記者の「競争」に委ねられます。一人は、自らこの企画を立案し売り込んだネリー・ブライ。彼女は、野口英世を彷彿とさせるほどの見事な雑草魂の持ち主で、圧倒的な男社会のアメリカ新聞業界にあって、男性顔負けの体当たり取材で名を挙げます。一方の、エリザベス・ビスランドはこれと対照的に美貌と文才が売りのおしとやかな女性。急に「さあ、おまえも行け」と言われて困惑したものの、結局、押し切られて「競争」に参加。結果、ネリーが72日で世界一周を成し遂げ、一躍、アメリカの国民的ヒロインとなりますが、それら「兵どもが夢の跡」も第二次大戦後、台頭した航空機により、急速に歴史の彼方に追いやられたことは周知の通りです。

(小説家 池田平太郎)2017-06

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