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『古事記』の神々(その8)

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(絵:そねたあゆみ) 

 前回のお話で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は愛した妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)を、完全に失ってしまいました。
 伊邪那岐命は自らが黄泉の国を訪れたことについて、「けがれた国を見てしまったから、身を清めよう」とおっっしゃって、筑紫の日向(つくしのひむか 現在の宮崎県高千穂地方)にある、橘の小門(おど)、阿波岐原(あわきのはら)へ向かい、禊(みそぎ)をしました。
 そのときに、投げ捨てた杖は、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)に脱ぎ捨てた帯は、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)に、袋は、時量師神(ときはかしのかみ)に、衣裳は和豆良比能宇斯能神(わづらぎのうしのかみ)に、袴は、道俣神(みちまたのかみ)に、冠は、飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)に、左手の袖は、奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐辨羅神(おきつかひべらのかみ)に、右手の袖は、邊疎神(へざかるのかみ)、邊津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津甲斐辨羅神(へつかいべらのかみ)に、それぞれなりました。
 川を眺めて伊邪那岐命は言いました。「川上の流れは速すぎるし、川下では遅すぎる」
 伊邪那岐命は川の中ほどへ、一歩足を踏み入れました。そのときに生まれたのが、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)で、この2柱は、黄泉の国から伊邪那岐命に付着してきたものでした。なので伊邪那岐命はこの2柱を清いものにしようとして、名を神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能売神(いずのめのかみ)と変えました。
 それ以降、伊邪那岐命が体を清めていくごとに、次々と新しい神さまが生まれていきました。
 最後に顔を洗うとき、左目からは天照大神(あまてらすおおみかみ)、右目からは月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗ったときには建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が誕生しました。
 いよいよこの三神が登場しました。次回からはこの神々の物語が繰り広げられていきます。お楽しみに。
(コラムニスト 気象予報士 CHARLIE)2017-11

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