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多産は繁栄の象徴

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絵:そねたあゆみ

 黒田官兵衛という人がいます。言わずと知れた豊臣秀吉の名参謀で、豊前中津の領主を経て、筑前福岡藩の始祖(初代藩主は息子の長政)となった人物ですが、妻は正室のお光さんのみだったということで、世界中で呆れるほどにセクハラ事件が起きている昨今にあってはまさしく「夫の鏡」でしょう。が、現代では「家族は子供2人と妻1人!」というのは笑い話ですが、当時としては、珍しいこと・・・を通り越して、非常に軽率なことですらありました。

 というのも、明治中期の日本人の平均寿命として、男42.8歳、女44.3歳というデータがあり、(以前、我が家の戦前の戸籍で成人の平均寿命をとったところ、結果は55歳。「信長が『人間五十年』と言ってたけど本当に50年だったんだ」と実感しました。)また、江戸時代も「40歳を超えれば息子に家督を譲ってお迎えが来るのを待つ」だったと言いますから、おそらく、官兵衛の時代には40歳弱だったのではないでしょうか。となれば、平均寿命40歳なら、もう20歳の時には子供がいないとまずい計算になるわけで、さらに、戦乱の世なれば、父子同時に出陣し、父子同時に戦死ということも十分に起こり得るわけです。こんな時代に大将不在は一族全滅という危険性さえ生じますから、つまり、言葉は悪いですが、予備の男子の存在も必要になるというわけですね。古今東西、多産が繁栄の象徴だった背景がここにあります。

もっとも、この平均寿命の数字には実は一つのトリックがあります。当時の短命の大きな要因は、医療技術や衛生観念の違い以前に「栄養価不足」が大きな要因として存在しており、(現代日本人が「バランスのいい食事」などと言っていられるのも、ひとえに冷蔵技術と物流環境の向上あってのこと。本来は、その日にとれた物をその日に食べるしか選択肢は無いわけで、穀類が重宝されたのも保存が利くという一面があったからかと。)であれば、栄養も医療も行き届いた権力者層は、いつの時代も、必ずしも平均寿命の縛りを受けない・・・というわけです。

 ただし、権力者層になると今度は戦死、暗殺の危険性が出てきます。それは戦国武将と名が付く人でも、自然死した人は決して多くないという事実が如実に表しているでしょう。宣教師の報告にも「日本では至る所で普通に殺人が起きている」とあるように、当時は現代で言うならば、クラクションを鳴らしたの鳴らさないのですぐに殺し合いが始まる殺伐とした世相。権力者とて、戦死はもちろん、いつ、部下に寝首を掻かれれるかわからない危険性があり、油断=死の決して気の抜けない毎日だったでしょう。

(小説家 池田平太郎)2018-01

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