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日本財閥史

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絵:そねたあゆみ

 戦前までの日本財界に君臨し続けた財閥。(お隣の韓国では今も令嬢がピーナッツを投げつけたりして時々、話題になりますのでご記憶の方もあるかと。)では、その財閥が日本にいくつあったかと言えば、まず、財閥解体の対象となった「15大財閥」があります。ただ、これはかなり玉石混交(?)で、渋沢財閥などは進駐軍(GHQ)も「よく調べたら財閥に該当しないから撤回要請を出せ」と言ってきたとか。ただ、時の当主・渋沢敬三(明治日本経済界の巨人・渋沢栄一の孫)が、このとき、大蔵大臣(現財務大臣)で、「私が私に要請を出すなんて」と言ってこれを断ったと。(この人は在任中の荒療治で、「我が家が焼き討ちされるくらいは覚悟した」と言っていたそうですから、このときも、「ニコニコ笑って没落。略して、ニコボツ」と言って淡々としていたとか。

 戦後の日本にこういう人がいたということはもっと記憶されて良いと思います。)

 話を戻すと、そんなふうで15大財閥はあまり実態を反映していたとは言えず、実際には、「三井、三菱、住友、安田」に代表される4大財閥、そこから安田を除いた3大財閥、そして、さらには住友をも除いた三菱と三井の2大財閥に集約されるようですが、ただ、三井と住友が江戸時代からの豪商の延長線上にあったのに対し、三菱と安田は幕末維新の動乱の中で礎が築かれたという点で大きく趣を異にします。

 すなわち、長期にわたって熟成を重ねてきた三井と住友が実際の経営を有能な大番頭に任せ、創業家は「君臨すれど統治せず」を旨とすることで「継続」する体制を確立していたのに対し、短期間に成長を遂げてきた三菱と安田が大財閥として熟成するには今少し時間的猶予が必要で、言い方を変えれば、「優秀な後継者の登場によってのみ熟成する機会を与えられた」ということだったでしょうか。

 三菱などは、今、岩崎彌太郎の盛名があまりにも大きすぎ、中には財閥解体のときまでずっと彌太郎だったと思っている人もいるようですが、もしそうなら、彌太郎は満の110歳。つまり、その後の後継者たちに宜しきを得ていなければ、彌太郎一代限りの壮大な打ち上げ花火で終わってしまった可能性もあったということですね。

 ちなみに、彌太郎と同世代の安田財閥の創始者・安田善次郎は82歳の時に、経営方針を巡って娘婿(ジョン・レノン夫人オノ・ヨーコの父)を放逐。とかく、こういう人たちは強烈な個性で時代を切り開いてきた反面、過剰なほどの自信に満ち満ちており、なかなか、実権は手放そうとはしないもののようで、その意味では、彌太郎は良い時期に死んだと言えたでしょうか。

(小説家 池田平太郎)2018-06

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