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日本に二大政党制はなじまない  

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絵:そねたあゆみ

 55年体制崩壊(細川護熙連立政権誕生)の頃、私は、「どこになるかはわからないけれど、最終的にまたどこかの一党独裁になる。小沢一郎の唱える、アメリカのような二大政党制は日本にはなじまない」と言ったことがあります。現状を見る限り、それは当たったようにも思えますが、私がそう思った根拠、それこそが、日本の議会開設以来の政党の歴史でした。
 日本の近代政党は、明治14年(1881年)、自由民権運動の中で板垣退助らが結成した自由党を嚆矢とすると言われています。その後、これに続けと、立憲改進党、車会党(誤字ではなく)、東洋社会党、立憲帝政党などが設立されましたが、やがて、明治21年の大日本帝国憲法施行後の議会開設を経て、多数政党乱立の時代から、政友会、民政党の二大政党に収束され、そして最後は政友会の一党独裁となりました。
 同様に、この公式を戦後の現憲法施行時に当てはめてみれば、最初は多数のミニ政党が乱立し、やがて社会党と自民党の二大政党制、いわゆる55年体制になり、そして最後は自民党の一党独裁になった・・・と。さらに、それを踏まえた上で、今度は55年体制崩壊後を見てみれば、自民、社会、公明などの既存政党の他に、新党さきがけ、新生党、日本新党などが新たに発足し、多数政党乱立時代へ突入。その後、自民・新進、あるいは、自民・民主の二大政党制に移行しつつ、離合集散を繰り返し、結果、今や、またしても自民党の一党独裁となった観があることは否定できないと思います。(自民党に対しても批判がないわけではないでしょうが、結果として受け皿となる野党がない以上、現状では一党独裁と言っていいかと。)
 この現象がなぜ起こるのかはわかりません。が、たまたまの偶然でもないように思えます。一つには、「バスに乗り遅れるな!」という日本人の国民性にあるのかもしれません。ただ、いずれにしても、日本人の政党がこのような離合集散を繰り返してきた以上政党乱立時代を経ての二大政党制定着という「両雄が並び立つ」ような体制が定着する可能性は少ないのではないかと思えるわけです。ちなみに、戦後の吉田茂内閣時代、鳩山一郎、三木武吉に代表される反吉田派の人たちは血で血を洗うような激しい政争を繰り広げながら、その一方で、国民生活に必要な法案は通し、それが終わると、また、政争を開始していたといいます。つまり、政治家の政争とは「仲良くケンカしな♪」が原則だということなのでしょう。でも、どうやら、ケンカの仕方を知らなくなったのは何も市井のことに限らないようですが、大丈夫でしょうか?これからますますガキ大将なんて御存知ない先生方が増えていくわけで。(小説家 池田平太郎)

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