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法治国家を過信している現代の日本人

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2007-12-3九州データブックと言うのが本屋にあったので、つい、買ってしまいました。
笑ってしまったのが県民性の欄で、福岡県は「真実曲げても面白ければそれでいい。」と書いてありました(爆笑!)。マジですよ。
ちなみに佐賀県は、「普段の生活を切り詰めて、お金や財産を残したい。」が全国で二番目に多かったそうです。て言うか、あの佐賀が二番目って、一位はどこ???
で、先日、友人の秋田在住横浜人が来たので、その佐賀まで観光に行ってきました。
吉野ヶ里遺跡から大隈重信記念館へ行き、その後、佐賀城に行ってきました。
佐賀城では、中に入ると、ボランティアのガイドとして初老の方がおられ、色々と説明を受けるうち、私が「江藤新平が打ち首になったところはどの辺りだったんですか?」と聞くと、その方は、「あの城門の前のNHKの辺りですよ。」と懇切に教えてくださいました。
帰途、城門を出て、江藤新平が斬首されたという辺りを横目に見て、駐車場に向かっていると、私にはある感慨が湧いてきました。
それは、数日前に見た「誰が為の警鐘【Blog】:ぬきうちテストのパラドックス」というブログについてでした。
江藤新平とは、明治初期の佐賀藩出身の政治家で、明治日本の法律関係を殆ど一人で整備したと言われています。江藤は自分が作っただけに「法律」というものを誰よりも知り尽くしていたわけで、それだけに、最大の政敵、大久保利通に対してさえも「大久保は(自分から見れば)子供よ!」と言い放ったといいます。ところが、実際には揺籃期にあった明治政府は、まだまだ、法律よりも特定の個人の意向が反映される部分が大きく、絶大なる権限を握る大久保は、開戦挑発の後、反乱の口実を得るや、自ら軍隊を率いて乗り込み、力でもって佐賀の乱を鎮圧し、「たとえ、罪人でも法廷で裁かれるはずだ!」と主張する江藤をお構いなしにさらし首にしてしまいました。これが、江藤と大久保という論理と力のパラドックスの結果です。論理の上で正しい江藤が逆に「子供のような」結果になってしまったわけです。でも、こういうことというのは、往々にしてあることなんですよね。
完璧に理論武装していても、相手の強大な力によって押しつぶされてしまうということが・・・。
これらの話は、少々、法治国家を過信している現代の日本人には、まさしく警鐘なのではと思えてならないのですが、如何でしょうか?

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2007.12

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