おもしろコラム通信5月号 2011.5.01 No.085

 

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肝を補う酸味の食材

 震災後、次の2つの症状の相談が増えました。

1、体が疲れやすく、眩暈がする感じでフワフワする

2、怒りっぽくなったり、憂鬱になったりして情緒不安定

 震災にあわれた地域はもとより、直接の被害がなかった地域でも、多くの方々が震災映像による心の傷を受けられています。

 家や町並みが飲み込まれてゆく大津波の恐怖の映像は私の脳裏にも焼き付いてしまい、夢に見ることもあります。強い恐怖は腎を傷め、生命力を損ないます。

 腎が虚してくると、恐怖心が強くなる、不安で眠れない、落ち着かない、体が浮き上がるような浮遊感やフワフワした眩暈を感じる、排尿異常を伴う・・・などの症状が現れます。

1の症状はまさしくそれです。

今回の揺れは長期振動であったため、ユラユラとした揺れで、「眩暈(めまい)かな?」と勘違いされた方が非常に多かったです。

 それ以来、何となく揺れているような不安に襲われている方が急増しています。こういった時は、とにかく毎日の食事で補腎してゆくことです。

玄米のご飯に、小豆や黒豆を炊き込んだり、黒ごまをたっぷりかけて食べましょう。

お味噌汁には、ワカメ、昆布、厚揚げ、切り干し大根、干し椎茸などの具を入れ、少し塩気を効かせた味噌汁に仕立てます。

ひじき、松の実、胡桃、人参などを具にしてサラダを作るのも良いです。

また、2の症状の原因は、やはり映像から入るもので、震災痕の街の状況、何もかもを一度に失い何から手をつけてよいのかわからない状況は、強く肝を傷めます。

肝が弱ると、虚脱感に襲われたり、憂鬱になり気が詰まってしまったり、ちょっとしたことですぐに頭に血がのぼってしまいます。

春は肝気が昇りやすい季節なので、5月の終わりまで、しっかりと肝血を補う必要があります。

 肝血を補うためには、毎朝梅しょうタンポポ茶をいただきましょう。

おかずには、人参、ゴボウ、れんこんなどのきんぴらや、あずきとかぼちゃのいとこ煮などを常備して召し上がってください。

めまいやふらつきが酷い方は、土踏まずを、温かいコンニャクで湿布すると良いですよ。

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:吉田たつちか)

 

 

ヨウ素過剰症を防ぐ組み合わせ

 日本人がヨウ素欠乏症にならないで済んでいるのは、ヨウ素を豊富に含む海藻類を日常的に摂取しているからです。実は、欠乏症にはならない反面、日本人は過剰症に陥る可能性があり、昨年、従来の上限値であった1日3mgから2mgへと厳格化されました。この許容上限量は、1日でもこの数値を超えたら直ちに健康危害があるというものではなく、長期に亘ってこの量を超えて摂取した場合に問題となる可能性も捨てきれないという程度のもので余り神経質になる必要はないようです。しかし、コンブについては他の海藻類と比較しても圧倒的に大量のヨウ素が含まれていますので、日常的にコンブを多食することは避けた方がよさそうです。

<主な海藻類のヨウ素含有量>

コンブ(乾) 100〜300mg/100g

ヒジキ(乾)  20〜 60mg/100g

ワカメ(乾)  7〜 24mg/100g

 上記の含有量から換算すると昆布の場合、数g程度摂取しただけでもすぐに上限値に達してしまいますので、昆布好きの方なら上限値を超える量を摂取している場合もあるのではないかと思います。しかし、これまで、ヨウ素過剰症がそれほど大きな問題になっていないのは、他の食品との組み合わせがよかったからではないかといわれています。例えば、大豆に含まれるサポニンなどはヨウ素の吸収を抑える働きがあります。日本の伝統的定番料理である「湯豆腐に昆布だし」とか「煮豆に昆布」、「味噌汁にワカメ」などは、まさに絶妙の組み合わせであったようです。つまり、大豆製品は海藻類によるヨウ素過剰症を防ぎ、逆に海藻類は大豆製品によって引き起こされるかも知れないヨウ素欠乏症を防ぐことに貢献していたのではないかと考えられるのです。その他にも、キャベツやカブなどのアブラナ科植物、タケノコなどには体内でのヨウ素の利用を低下させてヨウ素過剰症を防ぐと考えられるゴイトロゲンという成分が含まれています。

 このように、日頃の食事は、いろいろな成分を同時に摂取するために、お互いに干渉しあって個々の成分の持つ効果が半減される可能性がある半面、健康危害のリスクも低減されるメリットがあるようです。一方、効能を追求して、有効成分を濃縮したり精製した健康食品は効果も期待されますが、その代わりに毒性も現れやすくなることが推察されます。健康食品を利用する場合には過剰症の恐れがあることを常に頭の片隅において、摂取量には十分気をつけたいものです。

 ヨウ素を過剰摂取すると、甲状腺機能低下症、甲状腺腫、甲状腺中毒症などが起こることがあります。この他、体重減少、頻脈筋力低下、皮膚熱感などの症状が見られることもあります。しかし、日本人は、その伝統的食習慣のために耐性があるようで、ヨウ素の過剰摂取に対する影響は出にくいと言われています。

 

(医学博士 食品保健指導士 中本屋 幸永/絵:吉田たつちか)

 

 

 

八十八夜の別れ霜・泣き霜  

 八十八夜は雑節*のひとつで、立春(今年は2月4日)を起算日(第1日目)として88日目、つまり、立春の87日後であり今年は5月2日だ。

 八十八夜といえば、この時期の風情を歌った唱歌「茶摘」が思い出される。歌詞にあるように八十八夜の3日後は、立夏。暦の上ではもう夏ということになる。

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅(すげ)の笠」

 この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。

 しかし、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、この時期には遅霜が発生することがあり、農家にとっては気の抜けない時期でもある。事実、昨年はこの時期の霜の影響で、梅や柿の実が付かなかった地区も多かった。産直市場にも干し柿用の柿が出ず、筆者も、毎年恒例の干し柿作りを断念した。

 4月に入ると、ホームセンターには夏野菜の苗が豊富に並ぶ。春を待ち望んだ菜園愛好者にとって、いち早く、苗を購入して、畑に植えたい。でも、多くに場合、八十八夜前に植えた苗は、霜や寒さにやられてうまく育たない場合が多い。かくて、同じ種類の野菜苗を再度購入して、5月の連休に植えるはめになる。ホームセンターは素人菜園愛好家に二度売れることになる。地域によって、野菜苗を植える時期は異なるが、自分の住んでいる地域のプロ農家が植える時期に倣って植えるといい。作物によっては作付け期間がごく狭いものもある。

 

*雑節とは、農業に従事する人々が、二十四節気(中国で作られた暦)では十分に季節の変化を読み取れないため、その補助をする為に考えられた日本独自の暦で、節分(2月3日)・八十八夜(5月1日頃)・入梅(6月11日頃)・半夏生(7月2日頃)・二百十日(9月1日頃) ・土用(1月17日・4月17日・7月20日・10月20日頃)・彼岸(3月20日・9月23日頃)などのこと。

(コラムニスト 古屋麻耶/絵:吉田たつちか)

 

5月5日の菖蒲湯

 新緑がまぶしい五月になりました。そよ風がなびくと、辺り一面に若い青葉の香りが漂います。

 自然の香りを楽しむ風習が、江戸時代から現代に伝わって、今でも季節の行事として親しまれていることがあります。五月五日に菖蒲をお風呂の浴槽に入れる、菖蒲湯です。

 温かい湯に入れた菖蒲の葉からは、清々しい香りが放出されて心を癒してくれます。そして香りだけでなく、腰痛や神経痛に効く成分も排出してくれます。まさに天然のアロマテラピーと言ったところでしょうか。切り取って捨ててしまいがちな根には、血行促進や保湿効果があります。ですので、綺麗に洗って一緒に浴槽に入れるのがいいですね。

 江戸時代に菖蒲をお風呂に入れるようになったのは武士の間で広まった武道を重んじる尚武(しょうぶ)の精神が関係しています。この『尚武』と読み方の同じ『菖蒲』を引っかけたのです。『勝負』とも同じでありますから余計に引っかけたくなったのでしょう。その語呂のいい植物、菖蒲を、五右衛門風呂に入れて健康を願うようになりました。おこなったのは五月五日。なぜなら中国ではその日に菖蒲を軒に吊るし、来たる夏に向けて病気にかからないよう厄払いをしていたからです。又、菖蒲の葉が刀の形に似ていることから男子に縁起のよい植物とされていました。そ

ういった中国の風習を武家が好んで取り入れたのだろうと考えられています。

 のちに、この菖蒲湯は町民にも伝わり、銭湯や長屋でも真似をするようになりました。中国のように軒に菖蒲を吊るし、健康を祈るようにもなりました。そうして、いつしか五月五日が端午の節句と呼ばれ、男の子を祝う祭りの日になっていったのです。

 屋根の上を高く舞う鯉のぼり。雄大に風に吹かれる親子鯉を見て目を保養した後は、ちまきを食べて腹を満たし、夜にはゆっくりと菖蒲湯に使って心身共に疲れをほぐして末長い健康を願いたいものです。

(小説家 華山 姜純/絵:吉田たつちか)

 

 

「事」を先送りしてませんか?

 現代日本人の多くは、「明朝、目が覚めても、これまでと変わらない日常が続いている。」と思いこんでいるように思えるのです。で、その根拠は何なのでしょうか?昨日まで、ピンピンしていた人が突然、亡くなるなんて話、別に無い訳じゃないですよね。昨日まで普通にしていた人が、翌朝、脳梗塞だったかで目の前で倒れられたのを見たことがあります。その方は、そのまま、救急車で運ばれましたが、一週間ほどして、亡くなりましたよ。

 また、百歩譲って、仮に病気でなかったとしても、事故という可能性もあるわけでしょう?これだけ、車が走っているんです。

自分が気をつけていても、交通事故に巻き込まれるってこともありますよね?私自身、検査手術で日帰り入院したところ、初歩的な医療ミスで、あと少しで死ぬところだった・・・という経験がありますよ。(妙なもので、このとき、病院に行く前に、ちらっと一瞬、「人間って、案外、こんな何でもないことで死んだりしてね・・・」って頭をよぎりました。でも、すぐに、「いくら何でも、検査手術なんだから、そんなことあるはずがないよな」と思い直し、そのまま、病院に向かいましたが、そのとき、心底にあったものは、間違いなく「まさか、俺が・・・」という根拠のない思いこみでした。)

さらに言えば、地震もまた然り。今回の東日本大震災で亡くなった方々は、誰もが翌朝も、翌々朝も、目覚めると同じ日常が続いていると、信じて疑われなかったのではないでしょうか?

そう考えれば、藤堂高虎のような戦国武者で無くとも、今日、布団に入るときに明日も同じ生活が続いていると考えることは、単なる思いこみに過ぎないのではと思えて成りません。

・・・何だか、保険の勧誘みたいになってきましたね(笑)。

もっとも、そう、イチイチ気にしていたのでは、到底、生きていけないのも、また、現代社会の動かし難い現実です。

(ユリウス・カエサルは、数々の暗殺の危険に対し、「怯えて生きるよりも死んだ方がマシ」と意に介さなかったとか。)

私が言いたいのは、別に保険の心配をしろということではなく、「事」を先送りしてませんか?ということです。

先送りとは、明日も、明後日も、いつもと変わらない日常が続いていることが前提なのですから・・・。

「この世に生を受けたるは事を成すが為にあり」と言います。

その意味で、藤堂高虎のこの言葉は、平和社会に生きる現代人に、「刹那刹那を疎かにすることなく生きる」ことの意義を問いかけているように思えて成りません。

ということで、一献、誘うなら今ですよ、御同輩・・・。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)

 

<編集後記>

・先月の投稿総数=8本

・ブログ=http://blog.goo.ne.jp/tebra/

CATEGORY=おもしろコラム

 

 

<読後通信簿

 

 

*今月採用された方(上記挿絵入りのコラム)には掲載ニュースレターと稿料として5千円分のクオカードを5月15日に発送しますのでお受け取りください。

*投稿いただいたコラムが,編集部の都合により、後日採用になる場合があります。この場合の稿料は採用月に支払われます。

6月号の原稿締め切りは5月15日です。

*特に季節を織り込んだコラムについては、翌月を想定して投稿ください。

*新聞タイプ(楽しい暮らし5月号はこちらから閲覧ください。

 

★個人情報保護の見地から、コラムニスト紹介のページはHPから削除しました。

 

 

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