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花見の歴史

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2005-04-05日本人が一年で一番楽しみにしている行事は、花見だろう。毎年、場所取りに奔走したり、弁当や酒に凝ったりと、準備の段回から心が弾む。冬の間に縮まってしまった心と体を、思い切り伸ばす為の宴にも思える。

桜を愛でる歴史は深く、奈良時代に編さんされた『万葉集』にも桜の美しさを詠まれたものも見られる。しかしこの頃の花見と言えば梅であった。花見が桜になったのは、平安時代からだ。

作庭文化が栄えつつあり、山から桜を移植し、気軽に楽しめるようになったからであろう。花見と言えば、桜の花を見るということが定着したのも、平安時代だ。

武家が台頭し出すと、今度は美しさだけではなく、すぐに散ってしまうという儚さにも注目されるようになる。「花は桜木、男は武士」と言われるように、命を潔く散らす代名詞のよう呼ばれる。これは、第二次世界大戦まで続く、兵士の生死観として定着した。特攻隊の辞世の句に度々引用された。大愚良観和尚の歌「散る桜 残る桜も 散る桜」とあるように、桜を死の象徴として捉えていたようだ。

しかし、庶民の桜観は少し違う。元々の庶民の花見は、春の訪れを噛み締めるものであった。カレンダーなど無い時代、桜の開花こそが春の到来だった。そして、花は散ったとしても、また来年美しい花を咲かせる桜を、命の喜びとして見ていた。だからこそ、大勢で集まり大騒ぎをした。今でも、心の奥底にこの昔の思いが残り、花見を楽しむのではないだろうか。全ての生物が活動し始める春、大いに命の喜びを謳歌したいものだ。

(コラムニスト 旭堂花鱗/絵:吉田たつちか)2006-04

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