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明治以降に開発された鍋料理たち

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13-09-04明治維新がおき、日本の食文化に大きな変化が起こってからでも、日本人は鍋料理を愛し続けておりました。

明治以降に誕生した鍋料理としては「牛鍋」が発達して今日の関東風スキヤキになりました。

それ以外にも関東大震災後に全国に広まった「おでん」もあります。

おでんは、漢字で「御田」と書きます。発祥は諸説あって、串に差したコンニャクなどに味噌を塗って食べる味噌田楽や醤油味で煮込んだ田楽から来ているという説。

関西ではおでんのことを「関東煮」と呼ぶが、これは江戸の煮込み田楽が大阪に伝わったという説もあります。

また一説によるとおでんが関西に広まったのは、大正時代に起きた関東大震災後のことで、関西から東京に救援に来た人たちが、おでんを「関東煮」として広めたという説もあります。

また他説として、関西では関東煮と書いて「カントだき」「カントンだき」ともいう説もあります。

他に中国の広東人がおでんの屋台や炊き出しを行なったことで、関西では広東と関東が一緒になり「カントンだき」となったという説もあります。

実際に中国の広東地方には、日本でみる屋台のおでんと同じく、四角く仕切った容器に別々の具材を串に差して売る屋台料理があり、その料理が日本に伝わったとき、四角く仕切った鍋を上からみると「田」の字になるところから、御田(おでん)

となったという説もあるのです。

この中国の「おでん」は、見た目も日本のおでんとそっくりで、ある説によると、満州を征服した日本の関東軍が日本に持ち帰ったため「関東煮」になったという説もあるようです。しかしこの説の逆をいえば、関東軍が中国に持ち込んで根付いたということも言えるわけで、どうにも真相はわかりません。

いろいろな説がありますが、わたし個人の考えとしては、広東から伝わったものが日本風にアレンジされて「おでん」「関東煮」になったというのが妥当ではないかと思っています。

おでんの発祥は室町時代からとか、江戸時代からという説もありますが、串にさした具を醤油味の汁で煮込むようになったスタイルは、明治以降に生まれたものであり、全国に広まったのは昭和になってからのようです。

他にも「しゃぶしゃぶ鍋」は、昭和27年に大阪のスエヒロという店が開発した比較的歴史の浅い料理です。

そしてこの「しゃぶしゃぶ」にそっくりなのが、タイ国の名物「タイスキ」ですが、これはタイの伝統料理ではなく、日本人観光客向けに開発された料理のようで「タイスキ」のす「スキ」は、日本の世界的ヒット曲、坂本九さんの「上を向いて歩こう」の英語名タイトルが「スキヤキ」であったことが「タイ

スキ」命名の由来です。

また、北海道の「ジンギスカン鍋」は、鍋というより鉄板焼きですが、これも昭和になってから生まれたもので、モンゴル料理とはまったく関係ありません。

もちろん「昔、英雄ジンギスカン率いる蒙古軍が、自分たちのヘルメットを利用して羊の肉を焼いたのが、いまのジンギスカン鍋の発祥」というのも、一種の都市伝説。そんなことは一切ございません。

どうやらあのヘルメット型の鉄板は、羊の油を落とすために作られたもののようで、あのカタチから蒙古軍の兜を想像できるため、そのような説が生まれたのではないでしょうか?  あるいは、あの奇妙なヘルメット型鉄板を開発した人が、最初から蒙古軍をイメージして作ったのかも知れません。

第一次世界大戦後に羊毛が不足したとき、日本政府は羊を飼うように奨励します。

次に羊の肉を食肉にも……、と、考えたようなのですが、ご存知のごとく羊の肉というのは大変臭いがキツいもので、日本人にはあまり馴染みませんでした。

そこで臭いを消すようなタレなども開発され現代のジンギスカン鍋になったようです。

(食文化研究家 巨椋修/絵:そねたあゆみ)2013-09

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