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権力とは何ぞや

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13-09-05豊臣秀吉が低い身分から、一代にして築いた豊臣家。
しかし、その豊臣家も、秀吉の晩年に出来た息子、秀頼の時代になると妙な名門意識ができていることにおかしさをこらえ切れません。
母方が名門・・・と言ったところで、秀頼の母・淀殿は父方である浅井家も母方である織田家も、その数代前から下克上で身を起こしてきたに過ぎず、天皇家を取り巻く公家などから見れば、浅井、織田、豊臣家程度で名門意識なんて、笑止千万だったでしょう。
面白いもので、明王朝の創始者・朱元障もまた、流民の中から一代にして王朝を築いた人物ですが、この王朝も末期になると名門意識が出てきています。流民だったことは、はっきりしているのに・・・。
思えば、人間とは、とかく権力というピラミッドを造りたがるもののようです。
では、権力とはなんぞや・・・とよくよく突き詰めて考えれば、体力や経済力のように実体があってのことではないわけで、つまりは、「人がそれに従う」という意識を持つということが前提でしょう。
だから、体力が無い人でも、一旦、権力を持つと、体力がある人を大勢使って、如何に強靱な肉体を持った人でも拘束してしまうことができるわけでですね。
これは、人は、権力を持つ者への反発よりも、権力、権威に対してすり寄ろうとする傾向が強い・・・ということも側面としてあると思います。
つまり、権力を倒して権力を握るよりも、権力に近づいて権力を握る・・・ということでしょうか。
古代ローマの晩期には国境を突破して侵入し占領してしまった蛮族に対し、ローマ皇帝は「総督」の地位を与えることで懐柔しようとしたと聞いていますし、同様のことは、中国の王朝においても耳にします。
発想の転換と言えばそうとも言えるでしょうが、一定の権力を持った者はより以上の権力をほしがるもので、苦肉の策であることには違いないと思います。(ある意味、「金印」などというのも、それと同義のものだったかもしれません。)
ただ、「権力に従う」という意味では、人は本来、「人は命令されることを本能的に拒絶する」ものだと言われています。
誰しも、「おい、おまえ、あれやれ!」と言われて、素直にやりたい!と思う人も少ないでしょう。
一方で、「士は己を知るもののために死す」という言葉もあります。
本能寺の変の時、織田信長の小姓団は、粛々と一斉に迎撃体制をとったと言います。
淡々と、誰一人、狼狽える者もなく、逃げ出す者もなく・・・です。
つまり、「人は命令されることを喜ばない」ものだが、「素晴らしく命令されたときには、喜んで従う」という一面もあるわけですね。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)2013-09

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