おもしろコラム通信3月号 2014.03.01 No.119

 

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「高松城の水攻め」にみる黒田官兵衛の心理作戦

 

 豊臣秀吉がまだ織田家の部将であった頃、「三木の干殺し、鳥取の飢殺し、高松城の水攻め」で中国地方を席巻したと言われてます。

 特に有名なのが城の周囲に延々と土堤を築き、川の水を引き込んで水没させて落とした備中高松城ですが、私がかねてより疑問だったのが、なぜ、ここだけ水攻めだったのか・・・ということです。

 もちろん、他の2つと違い、水を貯めやすい地形だったということはあるのでしょうが、でも、他の2つは普通に兵糧攻めで落ちてるわけですから水没させなくても落とせたんじゃないの?・・・と。

 で、さらに疑問なのが、秀吉方は救援に来た毛利軍の猛将・吉川元春の軍と土堤との間にはわずかな部隊しか配置していないことで、これでは、毛利軍がその気になれば夜間にでも急襲をかけて土堤を破壊し、城を水没から救うことは出来たんじゃないの・・・と。

 ここまで考えて、ハッとしました。

つまり、「ここがどういう場所か?」ではなく、「今がどういう時期か?」と。

 戦闘は梅雨から初夏にかけて行われたそうですから、織田家と違い、兵農分離が進んでいない毛利兵は農繁期の出兵を嫌ったのではないか・・・と。

 兵からすれば、「だったら、来年の年貢は負けてもらえるんですか?」と言ったとしても、言われた側は現代もそうであるように税収不足は困るわけで、「いや、それはそれで・・・」としか言えず、だったら「冗談じゃない」となった・・・と。

 となれば、救援に来た毛利軍は実際には大した兵力を確保できておらず、さらに、いくら、「もうすぐ終わるから」と言ったところで、目の前でしっかり水に浸かっている城を見れば、長引くというのは明らかで、そうなると今いる兵を引き留めるのも難しくなっていたのではないか・・・と。

 結果、少ない兵力で土堤に向かってて出動すれば、待ってましたとばかり、秀吉軍の主力部隊に捕捉され、全滅してしまう可能性があり、また、秀吉もそれを狙っていた・・・と。

 そういう目で見れば、高松城は周辺の泥沼で防御するという「時代遅れの城」で秀吉軍なら水攻めでなくてもどうにでもなった・・・と。

 つまりは、織田家の革新兵制「兵農分離」も含めた戦争形態の変化が勝利の背景にあったと言えるでしょうか。

 ちなみに、この攻略法を献策したのは秀吉の参謀として頭角を現していた黒田官兵衛(如水)だったと言いますが、これは私もそう思います。

 なぜなら、作戦計画という物には人それぞれの傾向というものがあるもので、官兵衛のそれは、後の小田原攻囲の時などでもそうですが、単に物理的に攻略を企図するのではなく、心理的効果を狙うというのが一つの特徴のように思えるからです。

 つまり、水攻めは攻略の手段ではなく、敵兵に与える心理的効果を狙った象徴的な物だったと。

(小説家 池田平太郎    /絵:そねたあゆみ)

 

 

 

 

カレーの歴史

 

 日本最初のカレーの具はカエル?

 いまは国民食とさえいわれるカレーライス。日本人の9割は一ヶ月に一食以上カレーを食べており、4割は一週間に一食の割合で食べているそうです。

 そんなに愛されているカレーライスですが、いつごろから日本で食べられるようになったのでしょう?

 記録によると、最初にカレーを食べたのは後に物理学者となる山川健次郎が明治4年に、アメリカ留学に向かう船中でカレーライスを食べたという記録があります。もっとも山川健次郎がカレーライスを注文したのは、それが唯一の米を使った料理であり、肝心のカレーはすべて残してしまったといいますから、果たして最初に食べたといえるのかどうかは、まあ置いておきましょう。

 次に日本史に出てくるのは、明治5年に発売された『西洋料理指南』という書物。この書物にカレーの作り方が出ているのです。

 その作り方とは、ネギ、ショウガ、ニンニクを刻んだらバターで炒めた後、水をくわえ、エビやカエルなどを入れてよく煮る。さらにカレー粉を入れて煮込み、塩、水溶き小麦粉を入れるというもの。ここで現代人は“ギョッ”とするのが、具に出てくるカエル。おそらく当時の日本にはカエルを食べる習慣はなかったと思われますから、おそらく明治の日本人もかなりギョッとしたに違いありません。

 この『西洋料理指南』がヨーロッパの料理を参考にしたのか、アメリカの料理を参考にしたのか、あるいはやはりカエルを食べる習慣のある中国から来たのかは不明ですが、欧米ではカエルを食べる風習は確かにありますので、おそらくカエルカレーのレシピが、欧米にはあったのでありましょう。ちょっとゲロゲロと思ってしまいますね。

 

少年よ、大志を抱きつつカレーを食せ!

 日本におけるカレーライスの歴史を語る上で忘れてならない人物が、かの「少年よ大志を抱け」というフレーズで有名はクラーク博士です。明治9年、現在の北海道大学である札幌脳学校の初代教頭となったアメリカ人、クラーク博士は、米食に偏見があったらしく学生にご飯を食べることを禁止しました。ただしカレーライスを除いて。

 札幌農学校の寮では、パンと肉の日とカレーライスの日が、一日交代であったといいます。そのため、日本にカレーライスを広めたのはクラーク博士という説もあります。このようにして、カレーライスは日本に少しずつ広まっていきました。

 北海道にカレーが広まったのは、他にもジャガイモ、タマネギ、西洋ニンジンといった食べ物が、北海道で多く栽培されたこともあったかも知れません。ジャガイモ、タマネギ、西洋ニンジンはいまでこそカレーの野菜に欠かせぬ三種の神器的野菜ですが明治になってから日本で栽培されるようになったもので、明治初期の段階ではまだほとんど食べられていませんでした。

 そして当時のカレーライスは、まだ西洋料理の一品目。まだまだ日本の国民食とはなっていません。せいぜい高級な西洋料理店で出されるものであったのです。

 

軍隊がカレーを広めた?

 明治時代、カレーライスはレストランで人気料理になりましたがまだまだ家庭内で作られる料理ではありませんでした。それが一般家庭に広まるためには安価で美味しいカレー粉が必要。実際に身近で作る人々が、必要でした。それまでのカレー粉はイギリス製のC&B社のもの。舶来品で庶民にはちょっと手が出ない代物だったのです。

 それが明治の終わりごろから大正時代に国産のカレー粉が作られるようになります。いくらカレー粉が安価で手に入るようになっても、食というものは意外と保守的なもの誰かが目の前で作ってくれないと、なかなか新しい料理には手が出ないものです。それを一気に広めたのが、軍隊ではないかといわれています。

 明治37年、日露戦争勃発。そのとき陸軍海軍とも軍用食としてカレーライスが採用されました。戦争が終わったとき、カレーライスの作り方を覚えた兵士たちは、故郷に帰ると家族にカレーの作り方と美味しさを伝えたのです。

 特に海軍では、当時毎週土曜日にはカレーライスを出す習慣ができており、それがいまの時代では金曜日になっているのですが、いまやレトルト食品として『海軍カレー』の名称で人気商品となっているくらいです。

 大正時代になると、カレー粉も多くの会社が手がけるようになり、より手に入りやすいものとなりました。

 いまやカレーの具として必ずといってもいいほど入っているニンジン、ジャガイモ、タマネギも、このころにカレーに入るようになりました。これはシチューの影響であるようです。

 また、カレーうどんは明治の末に生まれており、カレーパンは昭和2年に誕生。カレーは着実に国民食への道を歩んでゆきます。

 第二次世界大戦中は、国中が食料不足となりましたが、カレーライスは相変わらず軍隊で食べられていました。

 

戦後カレーは国民食に

 戦後、学校給食にもカレーライスが出され、子どもたちのハートをキャッチ! カレーはますます日本人の国民食となっていきます。やがて日本は高度成長期に入ります。そのとき現れたのがこれまでのカレー粉ではなく、カレーの固形ルー。このカレールーの登場は、カレー粉から作るものよりも、はるかに簡単に作ることができるため、一気にカレーライスが国民に親しまれていったのです。

 また、1968年、一人用のカレーとして日本発のレトルト食品である『ボンカレー』が登場。いまやレトルト食品の3割はカレーであるといいます。日本全国に広まったカレーライスは、各地域でもそれぞれに発展し、ご当地カレーとして多くの人に親しまれるようになったのでした。

 

カレーを食べると幸せ気分になれる?

 最近の研究によると、カレーには20種類以上のスパイスが入っており、その効果でストレスを抑えたり認知症の予防や血糖値を抑える効果があることが知られています。

 さらに、カレーを食べると、セロトニンという人に幸せ気分にさせる効果がある脳内物質まで、多く出てくることがわかりました。

 美味しくて健康に良くて幸せにしてくれるカレーライス。日本人が大好きなのも当然なのかも知れませんね。

(食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)

 

 

 

 

ノロウイルスの消毒に関する注意点について

 

 インフルエンザ、ノロ・ロタ等が猛威をふるっています。消毒法についてのお問い合わせがありましたので回答させていただきますね♪

★ノロウイルスの消毒に関する注意

1,ノロウイルスは、アミノエチルグリシン系の界面活性消毒剤では、殺菌できませんので、ノロ発生時のトイレのドアノブ等には、次亜塩素酸製剤をご使用ください。

2,便や吐物で汚染された床を消毒するには、次亜塩素酸濃度0.1%(1000PPM)の消毒液が必要です。ハイターなどの市販の次亜塩素酸で殺菌する場合の簡易的方法として、500ミリリットルのペットボトルに、キャップ2杯(5ミリX2)のハイター原液を入れ、500ミリの水で希釈したものを用います。

 衣類や器具等のつけ置き、ドアノブの除菌等には、0.02%を用いますので、500ミリリットルのペットボトル水に対して、キャップ半分弱2ミリで作ります。(日光や、高温の部屋で分解され、効き目がなくなりますので、作り置きはしないでください。)

3,消毒の際には、必ずビニール手袋、マスク、染みない衣服などを用意し、換気をよくします。

4,便、吐物は、ペーパータオルなどで、中心に向かって拭き取り、消毒薬を入れたビニール袋に捨てて、固く縛り廃棄します。

5,胃液の酸が拭き取られていないと、塩素が発生する可能性があるので、ペーパータオルで水拭きした後に、消毒します。

6,消毒後、10分ほど放置し、再度、水拭きします。(特に金属は、水拭きしておかないと、腐食します)つけ置きしたものも、必ず水洗して、日光干ししてください。(高濃度の次亜塩素酸が衣類にしみこんだまま乾燥し、摩擦で発火した例があります)

7,消毒作業をした後は、必ず手洗い、うがいをし、すぐに調理作業をしないようお願いします。

★感染予防に対する、消毒以外の注意点

 インフルエンザや、ノロウイルスに対して、消毒マスク、手洗い、うがい等の外的注意ばかりが喚起されていますが、もっと大切なことは、個々の内部環境(免疫力)を浄化することです。ウイルスに感染して、発病する人と、そうでない人がいるのは、免疫力の違いです。免疫力をあげるために、以下の点に気をつけてください。

1,過労しないよう、十分な睡眠・・・午後10時の就寝が望ましい

2,暴飲暴食を避けて、腹七~八分・・・胃腸に負担がかかった後に、免疫力が低下し、感染します

3,甘い物、アブラ物の摂りすぎに注意・・・どちらもウイルスの分裂を促します

4,ウイルスの排毒には、タンポポ茶が有用 

5,持続的ストレスは免疫力を著しく低下させるので、発想の転換をして、いち早くストレスから脱却する

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:そねたあゆみ)

 

 

 

再生細胞の不思議

 

 種芋用にと、麻袋に入れて地下室に置いておいたジャガイモを取り出してみたら、10センチほどの芽が伸びていた。植えつけるには時期尚早であるが、やや深めに穴を掘り芽を横にして畑に植えた。早すぎると、土から顔を出した芽が遅霜にやられてしまう。

 ジャガイモに限らず芋類は、再生力が高い。サトイモやサツマイモの切り片を水を入れた皿に置いてベランダに出しておくと、芽が出て葉が茂ってきて、盆栽として楽しめる。

 生命力の特に強い山芋などは、芋を切り分けて、土に埋めて栽培する。菊芋を一度畑に植えると、採っても採っても、芽が出てしまう。借り農園などにこれが植えられていると、次に借りた人が、雑草のように次々に芽が出る菊芋に閉口してしまう。私の借りている修善寺の農園では管理組合の人が、パワーシャベルを持ってきて、土を掘り返し、ふるいにかけて残り芋を除去したほどだ。

 冬、枯葉が落ちたクヌギ、ナラなどが切り出され、1メートルくらいに切りそろえられる。シイタケ菌を植えるホダ木にするのだ。春先にドリルで穴を開け、種駒(シイタケ菌)を打ち込む。昔は、ホダ木に傷を付けて雑木林に放置しておくと、シイタケ菌がどこからか飛来して自然に、シイタケが発生したというが、今は、確実に発生させるために、種駒を打ち込む。春になると、切り株から芽ぶいて、数年すると、雑木林は自然に再生する。

 動けない植物は、このように、身体の一部から全部が再生可能になる能力を神から与えられている。

 これに対して、動物の細胞は再生能力がないというのが常識であったのだが、先ごろ、日本の若き研究者小保方晴子さんが簡単な手法によって、刺激惹起性多能性獲得細胞(STAP細胞)の製作に成功したと話題になっている。難しいことは分らないが、動物でも再生細胞が可能になるようだ。

 先日見たアメリカの連続テレビドラマTHE4400では、歳を取らなかったり、キズが自然に治ってしまったり、どんな病気でも治してしまう不思議な能力を持った人などがが登場する。突然何者かに連れ去られ、ある日突然光る球体と共に返された4400人の失踪者をめぐっての物語だが、すでに、STAP細胞もどきの能力が再現されているのがおもしろい。ともあれ、今回の発見が、人類のよりよい未来に繋がることを期待したい。

 歳をとってものぐさになってきたようで、植えたら、特別手をかけなくても収穫できる作物が年々畑に増えてきてる。菊芋・ヤーコン・山ウド・食用菊・ジャガイモ・イチゴ・山芋・セリ・三つ葉・フキ・ニラ・ネギなどである。これぞ、究極の自然農法だと一人合点している。(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)

 

 

 

 

 

<編集後記>

・先月の投稿総数=9本

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