おもしろコラム通信3月号 2011.3.01 No.083

 

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おもしろコラム通信発行月の前月によせられたコラムの内、採用されたものを絵入りで掲載しています。

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プラセボ効果と健康食品の存在意義

皆さんは、「プラセボ効果」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。他に、偽薬(ぎやく=にせぐすり)効果、プラシーボ効果と呼ばれることもあります。プラセボは、"Placebo"というラテン語が語源で「私は喜ばせる」という意味だそうです。要は、実際には効果があるはずのない偽の薬でも、「この薬はとてもよく効く薬なんだ」などといわれて与えられると心理的な効果を発揮して、病気が治ってしまうという現象です。

 医薬品開発などにおいては、効果を判定しようとする薬と偽の薬(プラセボ)を投与する二つのグループに分けて臨床試験が行われることが多いのです。そうしなければ、真に薬の効果で治ったのか心理的な効果によって治ったのか正確に評価できないからです。もしも、この世にプラセボ効果というものがないのであれば、単純に薬を投与する前と後で比較すれば十分だということになります。しかし、プラセボと比較しなかった臨床試験はその精度が疑われるというくらいプラセボ効果は医学界で広く認められた現象なのです。

 私も、特定保健用食品(=トクホ)の開発に携わったことがありますが、トクホの許可を得るためにはプラセボを使ったヒト試験(医薬品ではないので敢えて臨床試験とは慣習上呼ばないようです)が要求されていました。プラセボについては、どちらが偽の食品でどちらが試験しようとする食品なのかわからないよう外見だけでなく味や匂いまでそっくりに作らないと審査で落ちるとまで業界内では言われていました。そこまで厚生労働省が神経質にこだわるくらいプラセボ効果は広く認知されているということです。実は、このプラセボ効果こそが健康食品の存在意義でもあると私は思っています。

 私が医学部の大学院を出て健康食品の製造会社に就職し、初めて社会人となったとき、製品の原価に比べて販売価格がとても高いのに驚くとともに後ろめたさを感じていました。

 今から考えると、健康食品に限らず多くの工業製品は、開発費や広告宣伝費がかかっていますので、それほど理不尽なものでもなかったのですが、当時は何だか落ち着かない気持ちでいました。

 しかし、仕事をしていく中で、手紙や電話などで会社のお客様相談室に次から次へといろんな病気がよくなったというお客様からの感謝の声が届くのをみると、なるほどと思えるようになってきました。

 健康食品ですから、それなりに体によいと思われる栄養成分が含まれていますし、中には病院での治療を受けながら健康食品を召し上がっている方も多いので、どちらが効いたのかといえば医薬品が効いたに違いないのですが、現代医学でも治療の難しいと言われている難病・奇病まで治ったという改善例がいくつも挙がって来ていました。

 これは、もうプラセボ効果としか考えられないと思うようになって、はたと気づきました。もしも、これが身近な大根や人参のような値段で売られていたらプラセボ効果を発揮していただろうかと。

 時代劇ではお約束の高麗人参がよい例だと思います。娘を身売りしてまで庶民が欲しがった奇跡の万能薬は、高価だからこそ効力を発揮したのではないでしょうか。

 もちろん、原価の10倍も20倍も高い無茶な値段設定は倫理的に許されるものではありませんが、常識的な範囲での少々高めの値段設定は、必要悪の部分もあるのではないかと思っています。必要悪というと少々語弊があるかもしれませんが、研究開発や品質管理面などで値段に見合うコストをかけているという意味です。

 健康食品は普段の食事からは十分な摂取量を確保できない栄養成分を補給したり、普段の食品には含まれていないような機能性成分を摂取することができるだけでなく、心理的な効果でも健康の維持・増進に役立っているのではないかと思います。

 消費者目線でのアドバイスを申し上げますと、自分の体調にプラスになるだろうと思うことができないような健康食品は摂取すべきではないということです。せっかく、安くはない金額を払うわけですから、人から無理に勧められて食べるのではなく、これなら試してみたいと信頼できるようなものを選ぶべきです。そのような信頼できる健康食品は、それらに含まれる栄養成分や機能性成分本来の働きにに加えて心理的な効果も上乗せされる訳ですから、きっとよい結果を生み出すことと思います。

(医学博士 食品保健指導士 中本屋 幸永/絵:吉田たつちか)

 

 

運気学「二の気」

三月二十日からは二之気に入ります。二之気の主気は少陰君火、客気は太陰湿土になります。主気の火の性質が、客気の湿により抑圧され湿と温が混ざって温室のような気候になることが予測されます。このような気候のときに予測される病は、主に首から上の上半身の疾患です。口内炎、鼻出血、頭痛、脳梗塞などが心配されます。

 また、湿気と熱気が絡む気候では、新型インフルエンザが再び猛威をふるうか、伝染性の疾患の流行が予測されます。 吐き気や下痢、軟便など胃腸風邪が流行る可能性もあります。

 体に湿熱(余分な水分や熱、)を溜めている方や、陰虚傾向(体に潤いがない方)にある方は特に症状がひどく出ることがありますので注意が必要です。

     この季節の養生としては、

1,食べ過ぎを避けて腹八分

2,甘い洋菓子類、揚げ物、油料理、脂身の多い肉、香辛料、味が濃い料理を避ける

3,寝不足を避けて、なるべく午後十時には就寝

4,黒豆、黒ごま、木耳などの色の黒い食べ物、緑黄色野菜をしっかり摂り補血する

5,豚肉、松の実、百合根、白ごま、貝類などをメニューに取り入れるなどに気をつけてください。

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:吉田たつちか)

 

 

 

決して絶望する事なかれ  

 昭和時代、極道和尚と呼ばれ一時代を築いた今 東光という人物がいます。

この人は、その豪放磊落な人柄もあり、まあ、良いにつけ悪いに付けエピソードには事欠かない人でしたが、中で

 

も私が忘れられない話に「絶望するなかれ」というものがあります。

 大正3年(1914年)、16歳の今 東光は、女性問題を咎められたことで教師を殴り、学校を退学処分になったことにより、町にいられなくなり、上京すべく、独り、駅のホームに立ちます。当然、一人の見送りもなく、他には人もまばらで、がらーんとしたホームで、不意に、誰かが隣に立つ・・・。フロックコートに山高帽という出で立ちで身を固めたその人物は、よく見ると何と、退学になった学校の校長先生だったそうです。

 校長と言っても、当時の校長は今とは比べものにならないくらいステイタスが高い時代ですから、怪訝な顔をしていると、突然、「絶望するなかれ」と一言・・・。さらに、困惑する少年に構わず、校長は前を見つめたまま、「君にこの言葉を贈ろう」と言い、こう続けたと言います。「絶望したときがすべての終わりである。絶望さえしていなければ、まだ、事は終わったわけではない。決して絶望するなかれ」うろ覚えで書いてますので、言葉の詳細は違うかもしれませんが、ニュアンス的には大筋はこのようなものだったと思います。

 「敗戦とは、司令官が負けを認めた瞬間に決定する」と言う定義があります。つまり、司令官が負けを認めてないうちは、どれほど苦戦していても、当然、撤退命令も出ないわけで、まだ、負けてないわけです。

 フランスの英雄ナポレオンもロシアとの激戦の際、ロシア軍の猛攻の前に、「もうだめだ。負けた。明日の朝になったら撤退を発令しよう・・・」と思っていたところ、夜が明けたらロシア軍の方が撤退していた・・・という話があります。ロシア軍はロシア軍で、フランス軍の敢闘の前に「負けた」と思ったということなのでしょうが、世の中とはとかく、こういうことが起こり得るもので、この校長が言ったのも、そういう意味だったのでしょう。

けだし名言ですね。絶望して、投げやりになったときに終わりが始まる・・・と。

 しかし、この言葉の意味もながら、さらにこの言葉を効果的にしているのが、このシチュエーションでしょう。

地域の名士である校長が、これまた、退学処分になるなどというとんでもない問題児を独り、見送りに来た・・・

と。あるいは、校長は駅まで来て、もし、見送りの生徒が数人でもいたら、一言も声をかけず、その場を立ち去ったのかもしれません。なぜか、そんな気がします。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)

 

チューリップバブル

花屋にチューリップが並ぶようになりました。

「もう?」と思われることでしょう。季節の移り変わりは早く、確実に春が近づいてきているのです。

 チューリップと言えばオランダが浮かびます。チューリップの栽培に力を入れ、世界各国に輸出しています。日本で販売されている球根もオランダからの輸入がほとんどです。そのせいでチューリップはオランダで生まれた花かと思ってしまいますが、意外にも原産国はトルコなのです。オスマン帝国で咲き誇り、宮殿の壁のタイルにも描かれていました。

 ではなぜ、現在ではトルコよりオランダで多くのチューリップが栽培されているのでしょうか。それは、十七世紀に起こったチューリップバブルに起因しているからです。

 オスマン帝国からオランダにチューリップがもたらされると、たちまち園芸家の間で話題になりました。彼らは独自の品種を生み出し、そして美しい花を咲かせました。それらが人々に受け入れられ、チューリップは流行りの花になりました。

 しかし、球根から芽が出て花が開くまでに時間がかかり、一度に沢山の花が実らないことから希少価値が高まって球根の値段を吊り上げました。それに目をつけたのが投資家。チューリップ人気がより一層高まると予測し、球根を売買して大儲けをしました。ひとつの球根が豪邸に変わるほどだったのです。その話を聞いて黙っていなかったのが庶民。彼らも一攫千金を夢見て投資を始めました。これが結果的に市場に混乱を招いたのです。ある日突然球根に買手がつかなくなりチューリップバブルが崩壊し人々を破産に追い込みました。

 オランダの観光名所であるキューケンホフ公園。多種多様のチューリップが花開き、庭園を赤や黄、紫の色に染めています。投資という熱狂から覚めても人々は変わらずチューリップを愛し育て続けています。バブルは崩壊してもチューリップを美しいと思う気持ちは崩壊しなかった、からと言えましょう。(小説家 華山 姜純/絵:吉田たつちか)

 

 

なぜか身近に感じる二胡の音色

二胡の音色は何とも言えない哀愁が漂う。穏やかで優しい気持ちにしてくれ、今の気持ちを素直に解決してくれる。良い意味でも、悪い意味でも気持ちを深くしてくれる。特に昔からある曲は歴史の違いなのか、大きななにかを感じることができた。そして演奏者それぞれの個性や演奏の仕方がまた一つの曲をさまざまな曲にしてくれる。それは二胡にかぎらずずべての楽器にいえる。

 二胡のもっとも有名な曲で二泉映月があるが、昔の中国色が強く、演奏者によっては厳かに聴こえ、時に広大で、時に伝統的で率直にも聴こえる。

 人の声に近い楽器としても有名で、歌っているようにも聴こえる。日本で活動している中国人演奏者は日本の音楽を二胡で演奏しているが、どれも伸びやかで若い人にもすぅと心にはいってくる。もともと中国の古い文化や芸術品、料理などが日本にもなじみがあるから二胡は素直に聴けた。

 ヴァイオリンやピアノの音色も好きだが、アジア色の強い二胡は外国の楽器でありながら、最も身近に感じるし、なにより心が洗い流される。

 二胡は自分にとってはストレス解消法でもある。このあいだ聞いた曲に、激しい曲で馬を表現しているものがあった。題名に馬という字があったから馬の曲というのが分かったがなんと二胡で実際に馬の鳴き声を表現したのだった。楽器で動物の鳴き声を出すというあまりのサプライズにより、今までよりも二胡が大好きになった。

 (コラムニスト 加藤恭介/絵:吉田たつちか )

 

<編集後記>

・先月の投稿総数=8本

・ブログ=http://blog.goo.ne.jp/tebra/

CATEGORY=おもしろコラム

 

 

<読後通信簿

・当コラムでおなじみの池田平太郎の最新作。

・秀吉に恐れられた軍師・官兵衛が、礎を築いた福岡藩・黒田家。代々同じ葛藤が当主を苦しめる。才人たちが陥った深い闇が起こす、苦悩の顛末を描いた歴史長編。

・作者自身、家業が代々大工の棟梁であり、自身も家業である建設・不動産業に従事していることから、後継者問題について、自分の経験も重ねての黒田家の葛藤を解明かす展開が特に面白い。

・この小説を書くきっかけは、作者自身、福岡出身で現在も福岡侍従という、地元の歴史ということもあるが、少年時代父に連れられて見た「大坂夏の陣図屏風」に触発されたのだという。

< なぜ、今頃になって長政という人物についてる、いて書こうと思ったのかというと、きっかけは、一枚の屏風絵(大阪城天守閣に所蔵されている「大坂夏の陣図屏風」)の存在であった。

 この屏風絵は、別名、「元和服ゲルニカ」と呼ばれているとも聞くが、確かに、普通、こういった戦国絵巻は自家の功績を称えるために描かれたものが大半であるのに対し、この屏風絵、特に、戦いの終盤を描いた左隻については、戦争というものの裏で起こる民衆の悲劇というものを生々しく描い

ているという点で極めて異彩を放っている。白眉であるとさえ言ってよいであろうか。

 大坂城落城後、城下に居住する民衆に対し、勝利した徳川方の兵士らは一斉に襲いかかった。

 そこには、戦闘員、非戦闘員の区別などあろうはずもなく、大坂夏の陣図屏風の左隻には、勝ち誇った兵士らが手当たり次第に、略奪、陵辱、誘拐はもとより、民衆の首を獲って敵兵の首と偽り恩賞を得ようとする「偽首」と呼ばれる虐殺行為に励む様子や、さらに、それら地獄絵図を逃れて川までた

どり着いた民衆が追い立てられて溺死する様子、ようやく川を渡り切ろうとする民衆に対し、対岸で銃を向ける徳川軍の姿、果ては、ようやく生きて脱出出来た民衆の身ぐるみを剥ごうとする追い剥ぎまでが克明に描かれている。

 その、「大坂夏の陣図屏風」において、戦国というものの……、いや、現代にも通じる戦争というものの肺俯をえぐるような真実の姿を後世に書き残そうとした者、それこそが黒田長政その人であったのである。>

・惜しむらくは、この「大坂夏の陣図屏風」写真を扉に挿入していただきたかった。

・ともあれ、今回の小説は二足の草鞋から脱して、小説家として立つ渾身の傑作である。

(井上勝彦記)

 

(幻冬舎ルネッサンス刊 定価1,575円)

 

*今月採用された方(上記挿絵入りのコラム)には掲載ニュースレターと稿料として5千円分のクオカードを3月15日に発送しますのでお受け取りください。

*投稿いただいたコラムが,編集部の都合により、後日採用になる場合があります。この場合の稿料は採用月に支払われます。

4月号の原稿締め切りは315日です。

*特に季節を織り込んだコラムについては、翌月を想定して投稿ください。

*新聞タイプ(楽しい暮らし2月号はこちらから閲覧ください。

 

★個人情報保護の見地から、コラムニスト紹介のページはHPから削除しました。

 

 

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