「酒は呑め呑め呑むならば 日乃本一のこの槍を 呑み獲るほどに 呑むならば これぞまことの黒田武士」
黒田節という、大昔に流行った歌ですが、末尾に黒田武士とあるように(「節」と「武士」とを掛けたわけです。)江戸時代、筑前福岡藩主であった黒田家に由来する歌ですが、私が子供の頃までは、福岡では酒席などでは、よく耳にした歌です。
でも、最近では本当に耳にすることはなくなりましたし、若い人は知らないでしょう。
コミュニティでの宴会が崩壊している現状を嘆くばかりですが、曰く、黒田家がまだ、福岡に来る前、時の当主、黒田長政の家臣で母里太兵衛という人が、酒癖の悪いことで知られる福島正則の邸に使いしたところ、太兵衛が家中でも知られた酒豪であったことから、正則は大杯に並々と酒を注ぎ、「これを飲め」と執拗に勧め、固辞すると、なおも絡んできて、ついには、「飲み干したら、何でも好きな物をやるぞ!」と言いだしたことで、ついに、太兵衛は腹を決め、「それでは」と言って、そのまま、一気にその大杯を飲み干すと、そのまま、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望した・・・と。
「あ、これだけは!」と言って蒼くなる正則に対し、「武士に二言はござるまい!」と言って、そのまま、持って帰ってきてしまった・・・という実話に由来するものです。
ところで、昔、プロ野球の広島東洋カープの監督に就任した方が、「選手にとって酒というのは身体能力の低下に繋がり、プレイの妨げになる」として選手に禁酒令を出したことがあったそうです。いわゆる、管理野球の先駆けみたいなものだったでしょうか。
その時、それを聞いた当時のオーナーが、「君ね、そう言うけど、『酒で3年、茶で10年』というように、お茶だと十日かかるところが酒だと三日で仲良くなれるんだよ」と言ったとか。
・・・結局、その監督は禁酒令を取りやめにしたといいます。
この点は、私も思い当たるところがあります。
同じ組織の一員とはいえ、全国から集まった初対面の人たちと、マジメな昼間の会議だけで意思疎通が出来るものでもありませんよ。会議とは、とかく、「何を言ったかではなく、誰が言ったか」が問題になるものですから。
昼間、いて好かない奴と思っていたのが、夜の会で話してみると、意外に良い奴だったりで・・・、同じ事は、軍隊にも言えたようで、私が敬愛する元帝国陸軍参謀にして、兵法評論家であった故・大橋武夫氏も、その著書の中で、「旧日本帝国陸軍では、昼間、軍事演習があるときは、夜は慰労と称して宴会があったが、実はこれが意外に大事だった。ここで、バカ騒ぎをして、懇親を深めると、戦闘中などに援軍を要請した際に、普段なら、『今、こちらにもそんな余裕はない!』と言われるところを、『おぉ、あのときの貴様かぁ、こちらにも余裕はないんだが・・・、仕方ない』ということになる」・・・ということを述べておられました。
理想としては、こういう緊迫した場面で私情を差し挟むべきではないのでしょうが、やはり、そこは人情でしょう。
確かに、良い悪いではなく、これが人間という感情を持った生き物の現実であり、業務を円滑に進める上ではやむを得ないことなのかな・・・とも思いますが、如何でしょうか、御同輩。
(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)