UA-77435066-1

日本の中枢で現代も生き続ける長州閥

 | 

14-11-1 以前、岸信介元総理大臣について書かれた本を読んだことがあります。
私が興味があったのは、岸とは実弟佐藤栄作の夫人を通して義理の伯父に当たる松岡洋右元外務大臣(国連脱退時の全権代表にして三国同盟の立役者。)との関係を知りたかったからです。
二人は、満州国で「2キ3スケ」と言われたうちの二人で、かつ同郷で親戚同士でも有れば、当然、他者には入れないような濃厚な関係があったと思うのが普通でしょうが、佐藤と松岡の伝記には、ここら辺のことについては、実にあっさりとしか書かれていませんでした。
私が松岡と岸、佐藤兄弟の関係を知りたいと思った理由、それは、明治日本を牛耳った藩閥のなかで、閥としては大正期の山本権兵衛を最後に完結している薩摩閥に対し、長州閥はしぶとく生き続けたと思うからです。
かつて、司馬遼太郎さんは、「革命というものは三世代に渡ってなされる。まず第一に思想家が出てくる。長州においては吉田松陰、薩摩では島津斉彬がこれにあたるが、多くは非業の死を遂げる。第二にその後を受け、革命家が出てくる。高杉晋作、桂小五郎、西郷吉之助、大久保一蔵らがこれに当たる。そして、これも多くは、事半ばにして死ぬ。そして最後に出てくるのが政治家であり、伊藤博文、山県有朋、井上薫、松方正義、黒田清隆、大山巌、西郷慎吾らがこれに当たる」と言っておられましたが、(その論で行けば、第一世代には孫文、マルクス、第二世代は毛沢東、レーニン、第三世代は、鄧小平、スターリンらがあたるのでしょうか。)そう考えれば、伊藤、山県、井上ら第三世代の後も、児玉源太郎、乃木希典ら日露戦争の英雄をはじめ、桂太郎、寺内正毅、田中義一となおも三人の首相を輩出し続けた長州閥・・・。
ここら辺は、恬淡とした伊藤博文と違い、閥意識が強かった山縣有朋という人の性格が、こういう結果を導いたのかもしれません。
なぜなら、桂、寺内、田中の三人は山縣の影響下にある軍人出身の首相であり、そして、その最後の門下生こそが松岡洋右なのです。松岡の仲人は山県の懐刀であった田中義一元首相であり、その松岡と縁戚関係で繋がりを持つのが、岸信介、佐藤栄作の総理大臣兄弟であり、この二人が戦後、巨頭として隠然たる勢力を誇ったばかりか、そのあと、総理には届かなかったとは言え、岸の娘婿である安倍晋太郎が巨頭として存在感を誇り、それはその子、安倍晋三や、佐藤栄作の子、佐藤信二氏らに引き継がれているのではないでしょうか?
二階堂進ら、鹿児島出身の有力政治家がいないわけではありませんが、彼らは個で存在しているのであり、閥としての繋がりがあるようには感じられないのに対し、長州閥というものは上述のように、閥としての流れを維持したまま、存在しているように思えます。
ここら辺が、長州怜悧と呼ばれる長州人の県民性なのかもしれません・・・。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ) 2014-12

 

コメントを残す