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“知恵”が富を生む

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10-09-02徳川家康が勝利間近となった、大坂夏の陣。豊臣方だった、淀屋常安という土木建設技術を持った男が、家康に接近します。

「この戦は、必ず家康様の勝利でございます。そのお祝いとしてご本陣を建てさせていただきとうございます」と、申し出たのです。無料で建てるということに疑いを持つ家康に、常安はひとつのお願いをします。「戦が終わったら、豊臣方で討ち死にした者が、城の近辺に遺棄されることでしょう。その後始末をさせていただきとうございます」。あくまで、豊臣方の兵を想ってのことと家康に思わせたのです。

家康はこの申し出を受け入れ、やがて、茶臼山に立派な本陣の建物が完成。喜んだ家康は、常安に褒美として、八幡の山林地三百石を与えました。しかし、常安の本当の目的はそんな褒美ではなく、遺体がまとっている、鎧、兜、刀、槍など、大量の武具を手に入れることでした。これらを売り捌き、大きな利益を得て、ひと財産を築いたのです。死者を利用しているようにも見えますが、遺棄されることを思えば、死者のためにもなっています。武具を手に入れるために、無料で本陣を建てる。まさに、先行投資型ビジネスのお手本とも言える話です。知恵の勝利です。

この話に似たような民話が山口県にあります。「厚狭(あさ)の寝太郎」。厚狭という里の長者の息子・太郎は、毎日何もせず寝てばかり。村人からは、「寝太郎」と呼ばれ、バカにされていました。その太郎が三年三ヶ月寝た後、突然起き上がり、「おとっつぁん、すまんが千石船をいっそう、こしらえてつかぁさい」と言いました。父親である長者は、何か考えがあるのかもしれんと、千石船を作ります。太郎は、水夫を雇い、船一杯にわらじを積み、海へ出て行ったのです。

太郎は佐渡島に渡り、そこで働く人夫の古いわらじと、持って行った新しいわらじを無料で交換し、古いわらじを大量に持ち帰ったのです。なんと、そのわらじを水に漬けると、たくさんの砂金が出てきたのです。太郎は、佐渡島の金鉱で働く人夫が履くわらじには、砂金がたくさんついていることに気がついていたのです。三年三ヶ月もの間、このことを考えていたのです。

太郎は、手に入れたお金で、村に土手や用水路を作ったり、沼地を水田に換え、村人に分け与えたということです。

この2つの話は、思いつきのアイデアではなく、よく考え抜かれた、まさに“知恵”の逸話です。

(ビジネスカウンセラー 佐藤きよあき/絵:吉田たつちか)
2010-09

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