絵:そねたあゆみ
今の時代、「東京から博多まで歩いて行きました」と言えば、皆、驚くでしょうが、飛行機どころか、鉄道すらなかった江戸時代以前には、船が使える所を別にすれば、乗り物はせいぜい馬か輿や駕籠くらいしかなく。こう言うと、「馬や駕籠は乗っていれば良いだけだから楽でしょ」と言われるかもしれませんね。でも、実際にはそれらは現代人が思うほど楽な移動手段ではありませんでした。
まず、騎馬民族という言葉がありますが、それは人がいて馬がいれば自然発生的に出来たものではなく、実際には鞍や鐙(あぶみ)といった乗馬道具が開発されて初めて可能になったもの。さらに、道具が揃っても、乗馬が長く武将の鍛錬の手段の一つであったことからもわかるように、去勢が登場する前はロデオの世界。少なくとも、オリンピックで見るほど優雅なものではなかったようです。仮に普通に乗るだけだったとしても、自転車だって乗り慣れないと尻が痛いように、時代劇俳優の回想録には、「(入社直後は)乗馬の練習で、毎日、長い時間乗らされ、降りたときには尻の皮がすりむけて、履いていたジーパンが血で固まって脱げず、ジーパンごと風呂に入って、悲鳴とともに、ゆっくりと剥がしながら脱がなければならなかった」という記述がありました。想像するだけで身の毛もよだつ描写ですが、では、駕籠だったらどうかというと、これも端で見るほど楽な乗り物ではなく。大名行列のようにゆっくり行く物でも、狭い空間の中での移動は、定期的に降りて体を伸ばしたりしないとかなりきつく、ましてや、緊急事態発生を知らせる早駕籠ともなると、昔、よく、忠臣蔵などの時代劇で火急の知らせを告げる早駕籠が着くと、中から息も絶え絶えになった使いの武士が転がり出て・・・というシーンがあったように、それは凄まじいものがありました。休憩も無しに、激しい揺れの中を振り落とされないようにしっかり捕まって・・・ですから、着いたときはまず半死半生。数日、寝込むことも珍しくなかったとか。(先日、ロサンゼルス=東京間が30分というニュースをやってましたが、技術的には可能でも人体にかかる負担は凄まじいものがあるでしょう。)
その一方、「交通機関というものは形は変わっても永遠になくならないもの」とは本田宗一郎の言。つまり、逆に言えば、変化にさえ対応できれば、業界自体が無くなることは無いと。もちろん、それが難しいのでしょうが、確かに、人工知能の登場によって様々な業種が消えると言われている昨今、改めて、一考に値する言葉のような気もします。。(小説家 池田平太郎)
(小説家 池田平太郎)2018-04