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本当はなかった英仏百年戦争

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(絵:吉田たつちか)

「英仏百年戦争」をご存知でしょうか?中世、イギリスとフランスが100年にも渡って戦い、最後はフランスが救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクの登場でイギリス軍をドーバー海峡の向こうに押し返して勝利した・・・と思っておられる方も多いようですが、実は「英仏百年戦争」という言い方自体、20世紀に入ってからのことで、そもそもが、それ以前に、「英仏百年戦争」なんてなかったんですね。
 どういうことかと言うと、まず、イギリスに本格的な王朝を開いた最初と言われる征服王ウィリアム1世というのは、イギリス人ではなく、フランスのノルマンディー地方の大名ギョーム(ウィリアムのフランス語読み)なんですね。つまり、ノルマンディー公ギョームが海を渡り、大ブリテン島の南端イングランドを征服。ノルマンディー公兼イングランド王を名乗ったというわけです。(それほどに当時のイングランドは小さかったということ。)わかりやすく言うと、薩摩公・島津家が琉球王国に侵攻し、これを支配下に置いた後、薩摩公兼琉球王を名乗り、幕府と戦った戦争を「日琉戦争」と呼ぶのか?って話です。
 したがって、その後のイングランド王で、ロンドンの国会議事堂前に銅像があるイギリスの英雄、リチャード獅子心王もその実はフランスに住み、フランス語を話し、イングランドを支配し続けるフランス人リシャール(フランス語読み)なんですね。ただ、その弟の代になって、フランスの争いに敗れ、大陸から追い出されて、イングランド王のみになってしまいますが、だからと言って、これでイギリスとフランスと言う国が確定したわけでもなく、フランス人のイングランド王たちはフランス内での復権を目指してたびたび大陸に侵攻。(隠岐の島に流された後醍醐天皇が復権を狙って本州に上陸したようなものでしょうか。)さらに、折悪しく、フランス王家の血統が途絶えたことから、イングランド王は遠縁に当たることを理由に、自らフランス国王に名乗りを上げ、王位継承戦争を始めます。これがいわゆる、「英仏百年戦争」なんですね。
 ちなみに、ジャンヌ・ダルクですが、彼女はそもそも、 フランス人と言いながら近年までフランスとドイツが領土争いを繰り返していたロレーヌ地方の出身で、言わば辺境。さらに、彼女が活躍したのはわずか2年弱で、しかも、それにより一気にフランスの勝利が決したわけでもなかったから、同時代人でも「いたなぁ。そんなやつ」という程度の認識だったようです。それを発掘し、英雄にまでしたのがナポレオン。フランスのために献身的に戦い、非業の死を遂げたその姿を称賛し、「フランス人よ、ジャンヌに倣え」と。

(小説家 池田平太郎)2023-03

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