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「宵越しの銭は持たねえ」という高齢者の生き方

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(絵:吉田たつちか)

 「宵越しの銭は持たねえ」とは、その日に得た収入はその日のうちに使い果たす。 金銭に執着しない江戸っ子の気性をいった言葉です。
 当時の江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれ、民家が密集していて火事も多く、町火消どうしが先陣を競っての喧嘩も絶えず、江戸っ子の気風の良さをあらわしています。
 どうせ火事にあえば、銭や豪華な家財道具なんて一瞬になくなってしまうもので、貯めこんでもしかたない。
 ひるがえって、高齢化社会の真っただ中にある、現代の日本はどうだ。高齢者がオレオレ詐欺にあって数千万円ものお金を騙し取られるのが日常茶飯事だ。
 年金だけで暮らすのはしんどいとテレビや週刊誌で騒ぎ立てる一方で、宵越しの銭を使わぬままあの世に逝ってしまう高齢者も少なくないのだ。
 「宵越しの銭は持たねえ」のもう一つの側面はシンプルライフのススメである。終活という言葉もあるがあの世に行く前に、今後いらないであろう衣服など処分する行動だ。
 家人の3歳上の姉から、洋服やら靴などが頻繁に届くようになった。彼女は几帳面な正確で、古着とは思えないほど清潔に保存してある。届いたと同量の衣服を姉に送ってやればというが、姉妹でも家人の性格は真逆なため、我が家の一部
屋は洋服で埋まってしまった。後期高齢者にとって、1年間着なかった服は今後着ることはなく、無調の長物だ。
 自分が手に入れたお金をその日のうちに使ってしまうということは、一日一日を大切に生きるという生き方でもある。一見、高齢者にとってはリスクのある生き方と思われるかもしれないが、実はその背後には豊かな人生観や生活スタイルが存在する。現在を大切に生き、必要なものにお金を使うという姿勢を示している。
 毎日の生活を楽しみ、自分自身の喜びや満足のために、手元にある資源を活用することが重要。
 余計な物やお金を持たないという選択は、シンプルな生活を追求するという意味にもなる。自分が本当に必要とするものだけを選び、それ以外の余分な物や欲望から解放されることで、心地よく、ストレスフリーな生活を送ることが可能となる。
 お金を持たない生活は、人々とのつながりや協力を必要とする。地域のコミュニティに参加し、人々との関わりを深めることで、物質的な豊かさだけでなく、人間関係の豊かさを追求することができる。  また、自分が持っているものを自分だけのために使うのではなく、他人に与え、共有する喜びを見つけることが重要。
 そのためには、自分が得たものを地域や社会に還元するという視点が必要となる。
 このように「宵越しの銭は持たねえ」の生き方は、お金だけに囚われず、人間関係や生活の質、心の豊かさなど、より広い視点から高齢者の生活を考えるきっかけを与えてくれる。
 それはある種の自由であり、自分らしさを追求する旅でもある。お金だけが人生ではなく、人とのつながりや共有する喜び、今この瞬間を生きることの大切さ、生き方は教えてくれる。
 先日、仏教発祥の地であるインドで、カースト未満の身分のダリット(不可触賤民)の人々を仏教へと改宗させるアンベードカルのインド仏教復興運動の中心人物である佐々井 秀嶺師の活動をYouTube で視た。
 彼曰く、「日本ではお金がないと生きていけないが、インドではお金が無くても生きていける」という。至言ではある。
 どちらが幸せなのだろうか?

(ジャーナリスト 井上勝彦)2023-07

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