小さな体で大きな働きをした人物といえば、昔話『一寸法師』の主人公を頭に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。この一寸法師は説話集『御伽草子』にも収録されるほど古い話ではあるのですが、現代人である私たちが知る一寸法師とは違うものです。
なんと謀略と極悪の限りを尽くし両親から見放され出奔、その後、美しい姫を妻にするという展開。その中で鬼も出てくるものの、読者の印象に残るのは一寸法師の悪逆非道っぷりでしょう。これでは児童が安心して楽しむ童話にはなりません。
では、現代に伝わる『一寸法師』はいつ改変されたのでしょうか。それは明治時代です。文学者の巌谷小波が児童でも楽しめるようにと、痛快な物語にしました。明治時代という時代背景を考えると、悪逆非道な一寸法師よりも小さな体で悪鬼に立ち向かうストーリーの方が好まれたでしょう。というのも、明治時代は西洋列強に追いつけ追い越せと国を挙げて奮闘していました。そんな中、日本らしさがどんどんと失われていった時代でもあります。しかし、侵略されないためには、そうせざる得ないジレンマがありました。
そんな忸怩たる想いを昇華させてくれる御伽噺が巌谷小波の『一寸法師』ではないでしょうか。小さな体を有利にするため鬼の腹に潜り込み、針の剣で内側から刺していった。知恵があれば、どんな強大な敵であったとしても勝つことができる、そんな勇気をくれるお話だったことは想像に難くありません。日清日露戦争に勝利したことも、一寸法師の人気に拍車をかけたでしょう。
ただ忘れてはならないのが、日本は日本人が思うほど小さな国ではないという点です。現在の国土面積は世界61位で、日本よりも狭い国は150ヵ国以上あります。人口にいたっては12位と、かなり多い方なんです。これで「私たちは一寸法師です」なんて言うことはできません。はたから見ると、私たちの方が鬼になってしまいかねない事実でしょう。
鬼にならないためにも、巌谷小波の『一寸法師』は教えてくれることがあります。それは自分というものを受け入れることです。小さい体を嘆くのではなく、この特性を生かして何かできないだろうかと考える。そして、その力を自分のためだけでなく周囲の人のために使う。これこそが、最も巌谷小波が伝えたかったことのはずです。己を決して過小評価せず、冷静に己を見つめる。それにより打ち出の小槌が見つかるかもしれませんよ。
(コラムニスト ふじかわ陽子)2024-8