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昔話「古屋のもり」に学ぶ、情報過多時代の知恵

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絵:吉田たつちか

 昔話の「古屋のもり」は、正体のない恐れがいかに人を振り回すかを、じつに軽やかに描いた話だ。雨漏りのする古屋で、ばあさまが「この世でいちばんこわいのは古屋のもりだ」とつぶやく。ところがそれを盗人や獣が聞きつけ、「古屋のもり」を得体の知れぬ怪物と思い込み、勝手におびえ、勝手に逃げ出してしまう。怖かったのは怪物そのものではなく、名前だけが先にひとり歩きした想像力だったのである。
 この構図は、いまの社会でも驚くほどそのまま通用する。たとえばSNSでは、短い言葉や切り取られた映像が、まだ輪郭も定まらないうちから「危険」「炎上」「終わりの始まり」といった大きな名前を与えられる。すると人は、その中身を確かめる前に反応し、拡散し、身構える。実体以上にふくらんだ不安は、いつしかひとりでに走り出し、誰かの評判や、場の空気や、判断そのものをさらっていく。
 現代の寓話として言えば、私たちはしばしば「通知の音」に追われる村人だ。ポケットの中で鳴る小さな震えに、何か重大なことが起きた気がして落ち着かなくなる。しかし開いてみれば、急ぎでも何でもない知らせだった、ということは珍しくない。にもかかわらず、私たちは“まだ見ぬ何か”に、実物以上の力を与えてしまう。名前のつかない不安より、名前がついた不安のほうが、人を動かしやすいからだ。
 だからこそ「古屋のもり」の笑いは、ただの昔話の笑いではない。おびえたときこそ、いったん立ち止まり、「それは本当に雨漏りなのか、それとも怪物なのか」と見直す知恵がいる。世の中を騒がせるものの半分くらいは、案外、屋根から落ちるしずくの音なのかもしれない。恐れをゼロにはできない。けれど、恐れに勝手な名札をつけて育てないことはできる。その慎みが、情報の多い時代を生きるための、ささやかで確かな教養なのだ。 

 (ジャーナリスト 井上勝彦×AI/絵:吉田たつちか)

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2026-08

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