アメリカの第二次大戦の英雄、ジョージ・パットン将軍は、その猛将としての一面とは別に、「詩人としての資質を持ち、毎晩、聖書を読む敬虔なクリスチャン」だったといわれています。
パットンの軍人としての能力の卓越さを際だたせている一つには、その「人知を超越」したような直感力にあったともいわれています。
彼の部下の情報将校は「パットンはその心霊的な感知器を使って、陸軍情報部よりはるかに情勢について先んじていた」と語っていますが実際、彼にはそういうエピソードを少なからず、残しています。
オマール・ブラッドレー大将の回想によると、「パットンが三個師団を率い、コブレンツ近くでモーゼル川を渡り、迅速に南へと歩を進めている時、突如、彼は前進をやめ部隊を集結させた。すると、翌日、強烈な攻撃を受けたのだ。しかし彼は行進を止め隊列を整えていたので、それを撃退することができた」などということもあったとか。
さらに、パットンの甥によれば、パットンはテレパシー、デジャヴ、輪廻転生などを強く信じていたそうで、それによれば、彼は自分がかつてトロイア戦争で戦ったことがあり、また違う時代にはユリウス・カエサルの第十軍団で戦い、さらに時が下ってスチュワート朝のためにも戦い、最後は、ナポレオン麾下のミュラ陸軍元帥ともに馬を走らせている一将軍であった・・・と信じていたという。
パットンは、大戦終結直後の昭和20年(1945年)12月9日、自動車事故にあって首の骨を骨折し、これにより、首から下は麻痺してしまったが、このときも、病院でパットンは看護婦に、「2週間しないうちに死ぬ運命なので、治療をしても、納税者の支払ってくれたお金の無駄になるだけだ」と語ったと言われており、その予言通り、12日後の12月21日、息を引き取った。
しかし、私は、幾つかは、本当にそうだったとしても、幾つかは、彼の司令官としてのカリスマ性を高めるための演出と、周囲もそれを望んだ結果・・・ではなかったかと思っております。
戦場では、彼のこういう人知を越えた力というのは、ワラにもすがりたい心境の兵士たちにとっては大いに心強い・・・、有り難いものであって、幕僚も、統帥力強化のために、それを必要としたのではないかと・・・。
人知を超越したような直感力と言えば、やはり、ミスター・プロ野球と言われた、長嶋茂雄さんが有名ですが、彼は、現役時代、チャンスになると、ベンチの中で誰彼構わずに足を踏みつけて出て行ったそうです。
踏まれた方は、皆、「痛い!」と思っていても、日頃の彼の「片方の足に2足、靴下を履いて、靴下が片方ないと言って探した」などという奇行を知っている同僚らは、「まあ、長島さんだから仕方がないか・・・」ということになり、そこで、快打を飛ばすと、奇行も信仰になってしまうのでしょう。
でも、よく見ていたら、長島さん・・・、川上哲治監督の足だけは踏んでいなかったのだとか。
(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)