花見とともに、日本人に人気のある季節のイベントといえば、お月見だ。これは、平安時代中期に唐の国から入ってきたもので、宮廷のお祭りの一つとして定着した。日本では、月見団子を食べるが、本家の中国では月餅を食べるそうだ。餅や団子だけでなく、里芋の収穫の時期にも重なるので、これを供える地域もある。里芋の形態を真似て月見団子の形が成立したという説もある。
日本では月が満ち欠けする所から、人間の生死と重ね合わせ、不吉なものと捕えていたこともあったようだ。太陽の光を浴びてぼんやり光る姿は、確かに不気味なものを感じることもある。出産や潮の満ち干にも関係しているので、とても神秘的だ。「月顔見るは、忌むべきこと」と『竹取物語』で書かれているのも、納得出来る。
ところが、時代が進んでいくと、月への神秘性は薄らいでいって、大きな月が見える十五夜と、秋の収穫祭を合わせて、お祭りを始めたのが、江戸時代からだ。野菜や団子を月に奉げ、ススキも飾るようになっていく。油の精製方法が安定し、夜の闇が薄らいでいったのと同時期だ。都心部では、華やかな遊びも生まれ、月見船も出されることもあった。何かと、酒を呑む口実の一つになってしまったような感じもする。
最近では、ネオンの明かりがまぶしくて、十五夜のお月様さえも見えないこともある。飽食の時代に、収穫の喜びを感じることが実感出来なくなっているのも、お月様が顔を見せてくれない理由の一つだろうか。毎日、お米が食べられる有り難さを噛み締めながら、今年はお月見をしてみたいと思う。(講談師 旭堂花鱗/絵:吉田たつちか)
2005-09