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旧正月は祝わなくていいの?

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1602-5 本来、日本のような四季がはっきりしている国には旧暦(太陰暦)の方があっているという話がありますよね。確かに、新暦(太陽暦)では、かつて日本人が感じた季節感がわからなくなっており、「中秋の名月」とは旧暦だと8月15日ですが、新暦だとその年によって違うので「今年はいつだったけ?」ということになる・・・。ただ、その一方で新暦のほうが、余計な閏月などが入らない分、日数計算などの面で使い勝手は良い。
で、この旧暦と新暦ですが、明治5年12月3日をもって明治6年に改められたわけですが、(維新後、財政難の明治政府が閏月1ヶ月分の役人の月給を節約したかったと。)もっとも、明治6年1月1日となった時点で庶民生活の隅々まで新暦が行き渡ったと考えるのは大間違いで、しばらくは一向に庶民生活に浸透せず、業を煮やした明治政府は明治43年(1910年)からカレンダーへの旧暦併記禁止を打ち出したことにより、ある程度は普及したようですが、それでも神社が発行するカレンダーの旧暦併記は政府も黙認せざるを得ず・・・。
結局、新暦が国民の間に完全に定着したのは戦後になってからのことのようです。(「やっと浸透し始めた」と書かれた戦後の新聞記事を見たことがあります。)
でも、この新暦と旧暦の違いは当時の人もながら、私のような歴史好きな人間も結構、困るんですよね。旧暦と新暦で片方が年をまたぐ場合などは1年違ってきますし、同じ年でも、たとえば、慶長5年(西暦1600年)の天下分け目の関ヶ原の戦いなどは旧暦9月15日ですが、新暦だと10月21日と1ヶ月以上違うわけですね。真夏真冬ならまだしも、ちょうど季節の変わり目でもあり、関ヶ原という土地柄や温暖化になる前の気候などを考慮すれば、合戦の日の情景を思い浮かべる時にはかなり違ってくるわけです。
ちなみに、日本では1月1日を元旦正月として祝いますが、中国や韓国ではむしろ旧正月の「春節」を祝祭の日として祝うそうですね。まあ、私も例年、「一年の計は元旦にあり」ということで真新しいノートの1ページ目にその年のテーゼを記すようにしておりますので新暦の1月1日を特別の日とすることに異論はないんですよ。でも、本来、我々の祖先が神聖な日としてきたのは旧正月のはず。それを暦が変わったからといって、いきなり、それまでとはまったく別の日に変更して崇めても良いものかという気もするわけです。であれば、1月1日はそのまま正月とし、遠い昔から先祖が祝ってきた旧正月もせめて、「国民の祝日」として何かもう少し、正月に近いことをやる・・・くらいはしてもいいように思えるんですよね。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)2016-02

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