絵:そねたあゆみ
幕末当時、よく、「列強は日本の植民地化を狙っていた」とか、あるいは、「西洋諸国は元々、通商だけが目的で日本人が過剰に反応しただけ」などと、色々なことを色々に言う人がいるが、「世界」とはそんなに単純なものではない。当時、イギリスにとって、もっとも手放せないドル箱植民地はインドであり、フランスにとってはインドシナであった。両国とも、これが一番大事で、それが揺るがぬことを大前提として、中国が俎上に載っていたが、だからと言って、日本は日本人が思っているほど重要視されていたわけではなかった。従って、英仏両国にとって、日本の内戦などに巻き込まれ、中国やインド、インドシナの維持にいささかでも懸念が生じるよう事態は迷惑極まりない話であり、事実、フランス公使はたびたび、「余計なことはするな」という訓令を本国外務省より受け取っているし、長州砲撃に踏み切ったイギリス公使は本国に召還されている。(後にその判断が至当であったことが認められ、清国駐在公使に任じられている。)
ただ、本国の姿勢がそうだからといって、公使館など出先機関の思惑もそうだとは限らないのが複雑なところで、特に、階級社会であるイギリスでは、ノンキャリアの外交官が浮かび上がるためには、僻地勤務で多大なる功績を挙げるしか道は無く、本国の思いとは裏腹にエネルギッシュに動いた。
一方、そうなると、日本にとって脅威となるのは、むしろ、アメリカとロシアであった。アメリカは建国以降、先住民インディアンを、まるで、害獣を駆除するように屠殺し、拡大してきた国である。「それは太平洋を挟んだ海の向こうでのこと」というのはいささか早計に過ぎる。明治31年に米西戦争によってフィリピンを獲得したアメリカは、フィリピン人に対してもインディアンと同様に対処している。ただ、日本にとって幸運だったのは、まもなく、南北戦争が勃発したことで、アメリカが極東に目を向ける余裕は無くなってしまった。こうなると残る脅威はロシアということになる。
不凍港を求めるロシアの南下は日本にとって間違いなく脅威であったが、一方で、イギリスにとっても、ロシアが極東で不凍港を手に入れることは看過できない事態。(対馬に居座ったロシア艦隊をイギリスが追い出してくれたなどというのも、このためで、別にボランティアなどではない。)もちろん、イギリスとしても、遠く極東の海で、インドの支配を危険にさらしてまで、日本を守ってやるつもりはなかっただろうが、イギリス公使館はこの線で本国の了解を得ると、日本を新政府へと導き、後見という形でロシアに睨みを利かせた。第二次世界大戦後、ソ連に対して睨みをきかせたマッカーサーと同じ構図であったろうか。日本は今もこの流れの中に居る。
(小説家 池田平太郎)2017-09