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古代中国人と戦前までの日本人 

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絵:そねたあゆみ

「シルクロード」の中でも、観光地として有名な「敦煌」がありますよね。私も行ったことがあるわけではないのですが、敦煌と言えばイコールと言ってもいいのが莫高窟(ばっこうくつ)。その莫高窟から20世紀初頭に、様々な文書が発見されたそうで、今では、そのおかげで随分と研究も進み、当時の人々の営みもある程度わかってきたとのことでした。

 それによると、中国は唐の時代、この辺りは西域諸国との国境付近であったらしく、国境紛争が頻繁だったようで、ある村では男子の7割が徴兵されたとか。さらに、戦闘は激しく、少なからぬ戦死者を出していたようですが、戦死者には朝廷より戒名が与えられるだけで、一切、補償などはなかったと。となれば、当然、働き手を戦場に取られた銃後の人々の生活は苦しく、中には「借金のカタに7歳になる息子を奴隷として奪われた際の契約書」なども見つかったそうです。(その契約書には、事細かに取り決めが規定されており、「生きている間は一切、会ってはいけない」、「死んだら、遺体は引き取って良い」などという条項などもあったとか。)いつの時代も、王朝とはエゴイスティックの極みのようなもので、古今東西、おそらく、こういう例には枚挙にいとまがないのでしょう。

 そう考えれば、我々、現代の日本人は何とも良い時代に生きているものだと、改めて再認識せずにはおれませんでした。いくら、治安が悪くなったと言っても、父も子も、兄も弟も、片っ端から戦場に送られるわけでもないし、生活が楽ではないと言っても、子供を借金の形に奴隷に取られることが「当たり前」でもないわけですから・・・って、そこまで考えて、ふと、とんでもないことに気付きました。これって、よく考えてみれば、何も古代中国のことなんかじゃなく、戦前までの日本人の姿そのものじゃないですか。 庶民の命なんか虫けらとも思わず、十把一絡げで1銭5厘の召集令状一枚で片っ端から徴兵して、絶望的な戦場に送り込む。働き手を失った上に、国家予算の大半を軍事費に奪われ、凶作になれば、娘を売らなければならなかった大日本帝国の農民の姿そのもの。人間とは、何と、まあ業の深いものかと・・・。(ちなみに、当時、召集令状は切手代が1銭5厘だったことから、庶民は「1銭5厘の命」などと自嘲しましたが、葉書が1銭5厘だったのは昭和11年まで。つまり、太平洋戦争が始まったときには2銭に値上がりしていたわけですね。)(小説家 池田平太郎)2018-11

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