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お弁当という食文化

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(絵:吉田たつちか)

●存在の軽いお昼ご飯

 日本人にとって朝昼晩の三食のうち、もっとも重きを置くのはどれでしょう? おそらくほとんどの人は「晩ごはん」なのではないでしょうか? これが西洋人だとお昼ご飯となります。

 忙しい現代社会では、朝ご飯は食べないという人もいることでしょう。そしてお昼ご飯は麺類ですましたり、近所の食堂で軽くという人も多いと思います。どちらにせよ日本人で晩ごはんよりお昼ご飯に重点を置く人はほとんどいません。お昼ご飯は存在が軽いのです。

●携帯食としてのお弁当

 おそらく狩猟採集時代から携帯食というものはあったと思われます。干した肉や木の実などを携帯し狩猟に何日も出かけたことでしょう。日本の携帯食といえばおにぎりが代表格ですが弥生時代のおにぎりの化石があるそうです。

 古代のおにぎりはもち米で作っていたようですが、時代が鎌倉や戦国時代になってくると、私たちが普段食べている「うるち米」で握るようになります。「え? うるち米って私たちが普段食べているお米?」と思う人もいるかも知れませんが、そうなのです。コシヒカリなどはうるち米の品種の一つなのです。もち米からうるち米への移行は、農民たちがうるち米を多く作るようにからです。日本人の携帯食はおにぎりだけではありません。お弁当です。

●人から買うお弁当は芝居見物から

 お弁当は当初自宅で作るものでした。それを人やお店から買うという文化が生まれた最初は、江戸時代の芝居見物です。

 諸説あるのですが、最初は役者や裏方が幕の内(舞台裏)で食べていたのを観客にも売るようになったという説が有力です。お弁当は花見などの行楽などにも用いられ、重箱などにいろいろなおかずが使われるなど豪華なものも出てきました。

●駅弁という食文化

 江戸時代にはじまったお弁当を買うという食文化ですが、明治時代になると、それに「駅弁」というものが加わります。最初の駅弁は明治18年上野―宇都宮間が開通したとき、宇都宮の旅館白木屋の亭主が梅干し入りおにぎり2個にタクアンを付けたものを売り出したもの。

 やがて駅弁は全国で売られるようになります。最初はおにぎり程度のものが、やがて幕の内弁当や二段の折箱に入ったものなど豪華かなものや、ご当地の名物なども売られるようになりました。

 いまや駅弁の種類は2000とも3000とも言われ、これほど多彩な鉄道内で食べるものを提供している国は他にありません。駅弁も日本を代表する食文化といえるでしょう。

●コンビニおにぎりとほか弁の衝撃

 客から注文を受けて作るという仕出し弁当屋は明治時代にすでにありました。会社から注文を受け、工場で働く人に持っていくというものです。時代が昭和になり、戦後豊かになった日本にアメリカ生まれの『セブンイレブン』というコンビニエンスストアが昭和49年(1974)に誕生。

 当初アメリカ生まれのセブンイレブンにはホットドッグのようなアメリカのファーストフードは置いていましたが、おにぎりやお弁当はありませんでした。

 そこで現会長である鈴木敏文氏がおにぎりを置くことを思いつきます。しかし当初は社員たちに「おにぎりなど各家庭で簡単に作れる」と、大反対を受けたと言います。

 しかしその2年後開発を開始し、昭和53年(1978)にようやく発売。ぱりぱりとした新しい海苔を巻くというこれまでにない発想で大ヒットし、いまではコンビニおにぎりは日本の食文化のひとつと言っていいでしょう。

 さらにもうひとつ昭和51年(1976)、埼玉県草加市に『ほっかほっか亭』一号店が誕生しました。ほっかほっか亭は80年代に全国的にフランチャイズとして店舗を増やし、また類似店もたくさん登場します。それまでお弁当は自宅で食べるものではありませんでしたが、弁当屋やコンビニで買い自宅で食べるということも珍しくなくなりました。

●キャラ弁とこれからのお弁当とは?

 最後に近年になって新たに誕生した弁当文化を紹介しましょう。「キャラ弁」です。キャラ弁とはアニメなどのキャラクターをかたどったお弁当で、2000年前後に生まれたとされています。

 子どもたちをお弁当で喜ばせたい、楽しませたいという母親たちは以前から、タコさんウィンナーなどを作ってきました。

 そんな母親たちが考え付いたのがキャラ弁ですが、もしかしたらキャラ弁も今後形を変えていくかも知れません。日本の携帯食、お弁当は世界でもかなり特異で多様な食文化です。これからもお弁当はどんどん変化していくことでしょう。

(食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ))2020-04

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