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追い詰められて力を出す 

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(絵:吉田たつちか)

 芸能界の重鎮・タモリさんは、「あの時代だったから、東京に来たけど、今だったら博多にいたままでユーチューバーになっている」と。なるほど、今ではすっかりNHKの番組でも常連ですが、デビューした頃は、本人曰く、「おすぎとピーコと俺は、NHKは出入り禁止だった」との言葉の通り、お世辞にも品があるとは言えない芸風で、それだけに、ユーチューバーになっても受けたんじゃないかなと思います。
「俺もやれたんじゃないかなぁ」とも思わなくはないのですが、ただ、その際に大事なのは、プレッシャーを気にしないこと。確かに毎日ヒットさせ続けなければ、すぐに多くの投稿の中に埋没してしまい、顧みられなくなるというのは事実でしょう。
 しかし、それでもやはり、途切れることなく、永遠にヒット作を出し続けるというのは、何かしら無理があるんですよ。
 焦れば焦るだけ、良い当たりは遠のいてしまう。であれば、あまりそこを気にせずに、良い作品が出来たら上げる・・・みたいなスタンスで行くべきなんだろう思います。もちろん、人によっては逆に追い詰められて力を出すタイプの人もいるでしょうから、これは考え方の違い、タイプの違い・・・ということなのでしょう。
 ここで、思い出すのが、先般、亡くなったプロ野球の名監督で、名選手でもあった野村克也翁。翁は、現役時代、稼いだ金はその年のうちに派手に使いまくり、シーズンが始まろうとするときにはきれいに使い切ることで、「今年も稼がないとまずい」という危機感を自分に持たせ、その年の活躍に繋げたと。一方、同時期の大投手・村山実翁は、逆に、「その後の生活の保障がないと、ファンに満足してもらえるような思い切ったプレーは出来ない」と思い、現役生活中から不動産経営を始めた・・・と。これは、テスト生として注目されない球団に入った野村と、関西六大学から鳴り物入りで人気球団に入った村山の違い・・・でしょうか。
 ただ、ノーベル賞作家・川端康成は気に入った美術品があると、それがどれほど高額であろうが前借りしてでも先に買ってしまい、その金を返済するために、追い込まれてから書き始めるということをやっていたと。川端自身は、幼くして両親に死別し、その後も生き別れだった姉、祖母と次々に失うという薄幸な幼少期を送ったとはいえ、元々、川端家自体は、多少、落剥はしていても、鎌倉幕府執権・北条泰時の末裔を自称するほどの名家。金銭的には、彼の本代が嵩んで食べ物を切り詰めたという程度で、その後も普通に一高、東大へと進学していますから、幼くして父を亡くし、病床の母を抱え、幼い頃から新聞配達やアイスキャンディー売りなどのアルバイトをして家計を支え、高校へ進学するのさえやっとだった野村翁とは違うわけで。(小説家 池田平太郎)

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