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日本生まれのイタリア料理? ナポリタンの謎

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(絵:吉田たつちか)

 パスタ料理のナポリタンが日本生まれだとご存じの方も多いことでしょう。ナポリタンは、終戦後にやってきた進駐軍たちが、スパゲティにトマトケチャップを和えて食べていたのを目撃した横浜のホテルニューグランドの総料理長、入江茂忠がナポリタンを発明したとされています。
 つまりナポリタンは戦後日本で誕生したということになるのですが、昭和のコメディアン古川ロッパの『古川ロッパ昭和日記』に1934年(昭和9年)12月22日に
「三越の特別食堂で、スパゲティを食ってみた、淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ」
と書かれています。
 この「ナポリタン」というスパゲティが、トマトケチャップを使ったものかどうかは不明。おそらくケチャップではなく、トマトソースを使ったものではないかと考えられています。
ただ当時、ケチャップ味のスパゲティがなかったわけではありません。
 銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあり、本来トマトピューレを使うものでしたが、関東大震災後から戦時中の食料配給制になるまではケチャップを使っていたといいます。
 ホテルニューグランドの総料理長入江茂忠が目撃した、進駐軍が食べていたスパゲティは、麺にトマトケチャップを絡ませただけのものですが、入江茂忠はケチャップではなく、トマトペーストや生のトマト、タマネギ、ニンニクなどからソースを作り、さらに炒めたハムやピーマン、マッシュルームを加えてスパゲティと和えたものを「スパゲティ―ナポリタン」と名付けたそうな。
 さすがホテルの総料理長、本格的です。ただナポリタンの発祥については、他にも諸説あり、ある説によると、ナポリタンはそんな本格的なものではなく、町の洋食店のアイディアではないかという人もいます。
 終戦後、しばらくして日本でもパスタが大量生産されるようになり、スパゲティにケチャップを混ぜて炒める料理法が広まっていきます。
 ただまだナポリタンという名称は、一般的ではありませんでした。ケチャップとスパゲティを和えた料理が学校給食で「スパゲティナポリタン」という名称で出されるようになったのは、1970年代になってから。
 紀行作家の前川健一氏によると
「1960年代にはまだ家庭ではスパゲッティはあまり食べられていなかった。イタリア料理店もそれほど多くなかったため、スパゲッティといえば喫茶店や洋食店で食べるもので、家庭でさかんに食べられるようになったのは1970年代か1980年代かもしれない」
 とのことです。
 それでも、70~80年代はじめの喫茶店では、スパゲティのメニューはナポリタンとミートソースだけというところがほとんど。
 ナポリタンはうどんのように柔らかく茹でたスパゲティを、ケチャップなどで和えるだけではなく、焼きそばのように炒めて出しているところが多かったのです。ミートソースは業務用の缶詰を柔らかく茹でた麺に乗せるだけのものでした。
 それに粉チーズと、80年代になってからはタバスコが付いてきました。
 80年代後半になると、グルメブームが起こりイタリア料理を「イタ飯」と呼んで人気となります。
 この時代になって日本人は、アルデンテという芯が髪の毛一本分残る茹で方を知ることになります。
 皮肉なことに、このイタ飯ブームのときに、ナポリタンは絶滅の危機に瀕するのです。その理由は、ナポリタンが古臭く本格パスタではないという風潮と、主な提供先であった喫茶店の減少と言われています。
 そしてナポリタンはレストランや家庭から消えていくと思いきや、90年代から2000年初頭にかけて「やっぱり昔食べたナポリタンは美味しかったよね」と思い出されるようになり、レストランでも「昔懐かしい喫茶店のナポリタン」として復活したのです。
 いつの間にかナポリタンは、昔懐かしい味になって言ったのですね。これからもナポリタンは日本人に愛され続けることでしょう。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)2023-05

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