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明治天皇は近代日本の食文化に大きな影響を与えていた

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(絵:吉田たつちか)

●食文化激動の明治時代 その最先端は明治天皇だった
 明治元年(慶応4年・1868)、徳川幕府が倒れ、新たに大日本帝国が生まれました。 政権は朝廷に返され、16 歳の若き天皇が我が国の頂点となりました。日本の首都は京都から東京になり、明治天皇も東京に移り住むことになります。
 明治時代は西洋の文化が怒涛のごとく流れ込んできた、まさに激動の時代。食の世界にも西洋料理が入ってきますが、その最先端にいた一人が明治天皇だったのです。
●朝食はパンとカフェオレ
 NHKの世論調査によると、朝食の「ごはん派」は54%、「パン派」は42%となっており、現代人の約4割が朝食にパンを食べているようです。
 約 150 年前の明治天皇も朝食はパン派でした。他にはパンの代わりに麩まんじゅうを召し上がっていたとか。この麩まんじゅうは、餡子と生麩が好物であった明治天皇のアイディアという説があります。(ちなみに明治7年に発案されたアンパンも明治天皇の影響があったという説もあります)
 そして朝食の飲み物はミルクコーヒー、今ふうに言えばカフェオレでした。
 この当時の日本人には「牛乳を飲む」という習慣も感覚もなく、「牛の乳を飲むなんて気持ち悪い」という人がほとんどでした。  明治新政府は、西洋人に比べて日本人が小柄なのは、食べものに原因があると考え、牛乳や肉食をすすめていました。明治天皇は牛乳を、栄養豊富ということで1日2回飲んでいたそうです。
●明治天皇、牛肉を食べる
 食習慣というものは、とても保守的なもので新しい食べ物というのはなかなか広まりません。いくら政府が「これからはお肉を食べましょう」と言っても、食べ物は命や健康と深い関係があるため、食べ慣れないものには手をつけにくいのです。
 当時の日本人は薬と称して、鹿や猪を食べていましたが、牛や豚を食べる習慣はありませんでした。
 そこで明治新政府は明治天皇に「肉食解禁令」を出してもらい、さらに天皇みずから牛肉を食べていただき、そのことを新聞に報道したのです。こうすることで日本人はいわゆる牛や豚の肉食に少しずつ慣れていったのです。 また明治天皇が肉など西洋料理を食べ慣れ、西洋の食事マナーを身に着けることは、諸外国との外交上でも必要なことでした。
●明治天皇にちなんだ淡水魚「鰉(ひがい)」
 明治天皇の朝食がパンとカフェラテであると書きました。昼食も洋食が多かったようです。でも夕食は和食で、明治天皇は洋食と比べると和食がお好みであったようです。
 そして和食と言えば魚ですが刺身は口にせず、焼く・蒸すなど火を通したお魚がお好きだったとか。
 なかでも琵琶湖産のヒガイという体長10~20センチの淡水魚がお気に入りで、東京の皇居から滋賀県に電報を打って注文をしたといいます。
注文を受けた方は、100尾ほどのヒガイを捕ると、最初の頃は生きたまま水槽に入れ、列車で東京まで運んだそうです。
 当時ヒガイという魚には漢字がなかったので、天皇にちなんで魚編に「皇」で「鰉(ヒガイ)」という漢字になりました。おそらく数ある魚で天皇家から一文字いただいた種類は鰉(ヒガイ)だけでしょう。
●味付け海苔と明治天皇
明治天皇は味付け海苔とも関係しています。 味付け海苔は、江戸時代から続く日本伝統の・・・、と多くの人は思っているかも知れませんが、実は明治維新の英雄で明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟が、明治2年、明治天皇の京都行幸のときに、山本海苔店二代目山本徳治郎におみやげの相談をし、山本徳治郎が発明したのが。味付け海苔なのです。
 実は山岡鉄舟、アンパンを発明した初代木村屋安兵衛とも親交があり、明治天皇にアンパンを紹介したのも山岡鉄舟とも言われています。
 激動の時代を生きた明治天皇。現在の私たちの食生活にも大きな影響を与えていたのですね。

(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)24-06

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