●日本人の宗教観はシンクレティズム(混交宗教)
「日本は無宗教の国」と、なんとなく思っている日本人はたくさんいるようですが、日本にある神社や仏閣の数は15万8000カ所以上、コンビニの数が5万7000店舗以上だそうで、コンビニの約3倍もあるのです。
NHKが2018年に「冠婚葬祭の時だけの宗教でなく、あくまであなた自身がふだん信仰している宗教をお答えください」と調査したところ、仏教31%、神道3%、キリスト教1%、信仰している宗教はないが62%という結果でした。
しかしもっとも多い信仰している宗教がないという人たちも、お正月は初詣に行き、2月になるとバレンタイン、7月に七夕、8月に盆踊り、10月はハローウィン、12月はクリスマス、赤ちゃんのときはお宮参り、結婚式はキリスト教式でお葬式は仏教式と、いろいろな国や地域の宗教が日本風にアレンジされて行事を行っています。
このように、日本人の宗教観は、いろいろな宗教を混ぜ合わせていて「いいとこ取り」をするシンクレティズム(混交宗教)と言ってよいでしょう。
●土台となった神道は教えも教祖もない
日本の宗教観の土台となっているのは神道です。神道は縄文時代にはじまったとされ、最初は神殿もなくこれといった教義もなく、救いを説くこともありませんでした。
やがて中国から仏教が伝来してくると、日本人は神道と仏教を「仏教の大日如来は神道の天照大神が姿を変えたもの」として共存的に信仰するようになります。
そんな神道は日本の食文化にも大きな影響を与えることになります。神道では米を神聖なものとしていて神への供え物となっています。
その米から作る餅やお酒は、御神酒として重要視されています。 海の幸、山の幸も捧げられます。
そして神道が日本の食文化に深い影響を与えているのが、ケガレ(穢れ)の考え方です。
●他人の茶碗は汚いというケガレ思考
ケガレの思想は日本の伝統的な考え方で、神道や日本の民間信仰において、ケガレを取り除くことが重要視されています。たとえば、神職がケガレを浄化する儀式を行ったりします。
この思想は日本独特のものであり、多くの人が気づかないうちに、私たちの生活に根付いています。
ほとんどの日本の家庭では、お父さんの茶碗とお箸、お母さんの茶碗とお箸、子ども用の茶碗とお箸といった個人用の食器があると思います。
おじいちゃん用の湯飲みがあったとして、それを子どもが自由に使うかと言うと子どもは、おじいちゃんの湯飲みはなんとなく汚いような気がして、その湯飲みでお茶を飲む気がしないというのがほとんどではないでしょうか?
ちゃんと清潔に洗っているので汚いはずはないのです。でもそう感じてしまうのは、知らないうちに我々の間にケガレの思想がはいっているからです。
●鍋を囲む習慣は関東大震災後、ちゃぶ台の普及とともに
日本の鍋料理といえば、大勢で一つの鍋をつつくものというイメージでしょうか。鍋を囲む原点は、昔の日本家屋には部屋の中央に囲炉裏があり、家族で大鍋を囲むものでした。このとき直箸で鍋をつついていたかどうかは不明です。
ただ、江戸時代後期になると、座敷に七輪などを持ち出して鍋を楽しむようになります。囲炉裏の大鍋ではなく一人用の小さな鍋で、これを「小鍋立て」といい、江戸時代はこの一人鍋が主流でした。鍋を囲むといってもせいぜい2人くらいであったようです。
そもそも江戸時代以前は、大きなちゃぶ台で食卓を囲んで食べるようなことはなく、お膳は一人用で、茶碗や箸など食器も個人用のものでした。
やがて幕末期から明治時代になるとちゃぶ台が現れます。このちゃぶ台が一般に普及したのは、関東大震災後の大正時代から昭和初期でした。ちゃぶ台の普及は大皿料理や鍋料理を家庭に持ち込み、食卓を囲む習慣もこのとき一般化したようです。
リクルート社が2023年10月に「冬の鍋事情」に関する調査を行ったところ、「複数人で鍋をするときにマナー違反だと思う行為」トップ10のうち、第4位に「直箸で食材・具材を取らない」が入っています。
それでも鍋料理の直箸が平気な人が大半になった現在、神道のケガレの精神も少しずつ変わりつつあるのかも知れませんね。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)2025-02