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イギリスの食文化はなぜこうなった:美食よりも「実用」を選んだ国の物語

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(絵:吉田たつちか)

 「イギリス料理はまずい」と言われ続けてきた国。実は、イギリス人たちは歴史の中で、「おいしさ」よりも「信仰」や「実用性」を選んできた結果、こうなったのです。では、なぜそんな文化が生まれたのでしょうか?そこには三つの大きな理由があります。
1. 宗教改革:贅沢を悪とした「禁欲の美徳」
 16世紀、ヘンリー8世の宗教改革によってイギリスはローマ・カトリック教会から離れ、プロテスタントの国になりました。このとき、社会に広がったのが「ピューリタン(清教徒)」的な禁欲の思想です。
 彼らにとって贅沢は罪。食事も「楽しむもの」ではなく「命をつなぐための行為」でした。
 カトリックのフランスやイタリアのようにワインとオリーブオイルを駆使して芸術的な料理を生み出すより、イギリス人は「とりあえず茹でれば食える」方向へと進んでしまったのです。
 さらに、ヘンリー8世は修道院を次々と解散させました。修道院は、チーズやワインの醸造、洗練された料理技術を受け継ぐ「グルメの学校」のような存在でしたから、それが一気に失われたのです。これがイギリス料理の長い冬の時代の始まりでした。
 ちなみに中世のイングランドは、今では想像もつかないほどワイン造りが盛んでした。
 南部の修道院ではフランス顔負けのワインを作っていたのです。しかし修道院がなくなり、気候が冷え込んだことでブドウ栽培は衰退。代わって「ビールとエールの国」へと変貌していきます。
 修道院は、農業や醸造、保存食の指導や、村祭りの主催をやっていましたから、修道院の衰退は、村祭りにおける「食べて祝う」という食文化の衰退でもありました。結果、地域ごとにあった伝統料理が、記録されることなく消滅していったのです。
2. 産業革命:都市生活が「台所」を消した
 18世紀、イギリスで産業革命が始まると、農村の人々が都市に押し寄せ、工場で長時間働くようになります。
 彼らが暮らす狭い集合住宅にはまともな台所などなく、料理をゆっくり楽しむ余裕はありません。
 そこで登場したのが、「早く・安く・簡単に食べられる」料理。その代表格が、国民食フィッシュ・アンド・チップスです。揚げるだけの魚と、切って揚げるだけのジャガイモ。合理的すぎるほど合理的です。一方、上流階級のジェントリーたちは「質素こそ美徳」と考え、豪華な料理を避けました。
 労働者階級は男も女も子どもも工場などで働くため時間がなく、国全体が「食にあまり興味がない国」になっていったのです。
3. 地理と伝統:「質実剛健」な食の原風景
 イギリスの気候は寒くて湿っぽく、育つ野菜も限られています。
ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、カブこのあたりが主役です。どうしても料理は素朴になります。
 実はジャガイモがイギリスに広まったのは17世紀末ごろで、最初は「悪魔の植物」と恐れられていました。
 ところが、安くて腹持ちがよく、どんな土でも育つ。これほど実用的な食材はありません。
 やがてイギリス人の国民性と見事にマッチし、「煮て良し、揚げて良し、潰して良し」の万能食材になりました。
 肉料理では、ローストビーフが象徴的です。手間をかけずに素材の旨味を引き出す焼き方は、まさにイギリスらしい「手抜きの美学」。派手さはないけれど、どこか誠実な味わいがあります。
4.ティータイム文化:お茶とお菓子に救われた国民
 そんなイギリスが誇る唯一の「美食文化」といえば、やっぱり紅茶です。スコーンやサンドイッチ、ケーキとともに味わうティータイムは、いまや世界中で愛されています。
 この紅茶文化の裏には、実は大英帝国の植民地政策があります。当初は中国から高価な茶葉を輸入していましたが、やがてインドやスリランカ(旧セイロン)での生産を拡大。砂糖も西インド諸島のプランテーションで大量に作られるようになり、「紅茶+ミルク+砂糖」という黄金の組み合わせが定着しました。
 つまり、イギリスのティータイムは、帝国の経済システムが支えた“植民地の味”でもあったのです。
 いかがだったでしょうか、「イギリス料理はまずい」と言われるようになってしまったのは、イギリスの歴史による食文化の断絶があったからなんですね。これも食文化のおもしろさといえそうです。


(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究所)2025-11

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