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秀吉の指伝説と家族の絆

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(絵:吉田たつちか)

 実は豊臣秀吉には指が6本あったという話がある。キリスト教宣教師や、前田利家の聞き書きがそう言っているのだが、そもそも宣教師は秀吉を激しく嫌っており、前田家も江戸時代になって徳川家におもねって、「生前、利家様が言っていた」旨のことを書き残した可能性もあり、真偽のほどはわからない。が、実際、こういうことはなかった話でもないそうで、当時は6本目の指があった場合、赤ちゃんのうちに切ってしまっていたのだとか。ところが、秀吉は庶民階級出身なので、そのままになってしまったと。
 この点で、昭和44年(1969)の「忍風カムイ外伝」というアニメの中に「名張の五ツ」という忍者が出てくる。敵の忍者が「手を挙げろ!」と言うと、なぜか言った方の敵が斃れているという謎の忍者である。秘密は腕が3本あるというもので、その彼が自らの3本目の腕を見ながら、「俺はこいつのおかげでこの世界に落ちてきた。だが、こいつのおかげでこの世界で生きていられる」と呟くシーンがある。原作の白土三平は昭和7年(1932)生まれ。戦前まではあった話なのかもしれない。
 秀吉の幼少期は指の話も含め、何も明らかになっていない。通説では実父が死んだ後、義父と折り合いが悪く、家を飛び出し、弟の秀長が家督を継いだ・・・ということになっているが、そもそも、秀吉は長男であり、義父と折り合いが悪かったからと言って、弟に家督を譲る理由はない。あるいは、そこに指の問題があったのではないか。
 昭和の頃でも、テレビショーなどで「あなたの曽祖父が蛇を殺した祟りです」などということを言う人があったわけで。ましてや戦国期。村の中でいろいろ言う声があったとしても不思議はない。とすれば、母が因果を含め、「すまないが、おまえ、村を出て行っておくれ」、「わかったよ、母ちゃん。俺がいると妹や弟がいじめられるし、姉ちゃんの縁談にも差し支えるんだろう。気にするな」で、秀吉は家を出て、独りで苦労を重ねながら累進出世を重ねた。そういう経緯があったからこそ、弟も兄に尽くし、母と妹は自分たちのために犠牲になった兄に報いるため、家康との和睦交渉の際には人質となって家康の下へ赴いた。
 一方の家康はどう思ったか。幼い頃に母と引き離され、人質として、家族の温もりを知らず過ごしてきた身。母と再会したのは自らが有力大名となった後である。兄のため、息子のためと危険を顧みず、次々と海を渡ってくる女たち。(当時はまだ、関西から三河までは伊勢湾を横断しなければならなかった。)家康は、独り、「家族とは何と暖かいものか」と涙したのではないか。弟を殺した信長、弟を頼りにした秀吉、そして、弟を知らずに育った家康。 

(小説家 池田平太郎)2026-03

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