三月のはじめ、コートの襟を立てた朝の空気に、ほんの少しだけ「ほどける」感じが混じります。暦は二十四節気の「啓蟄」。土の中で冬ごもりしていた虫がはい出てくる頃、と説明される節気です。理科の知識としては簡単でも、体感としての春は、もっとゆっくり、もっと個人的にやって来ます。だから啓蟄は、自然観察の合図であると同時に、自分の生活の温度計でもあります。
「啓」は開くこと。「蟄」は土の中にこもること。つまり啓蟄とは、“閉じていたものが、ひらく”という文字の運動そのものです。おもしろいのは、ここで言う「虫」が、いわゆる昆虫だけを指すわけではない点です。昔の言葉の感覚では、冬の間ひそむ“いのち全般”の気配まで含んでいた、という捉え方ができます。すると啓蟄は、アリやカエルの話で終わらず、木の芽、微生物、そして人の心身にまで届く言葉になります。
たとえば、予定表の余白が減っていく四月を前にして、私たちは三月に一度、深呼吸を忘れがちです。冬の間、知らず知らず縮こまっていたのは体だけではありません。新しいことを始める前の躊躇、返しそびれた連絡、片づけきれない机の隅。そういう小さな「冬ごもり」が、部屋の中にも心の中にもあります。啓蟄の日は、それらを責めるのではなく、そっと戸を開けてやる日にしたい。窓を少し開けて空気を入れ替える。散歩の速度を落として、植え込みの足元を見る。今日いきなり人生を変えなくていい、でも“動き出せる場所”を増やす。そんな現実的な春支度です。
春の雷が「虫出しの雷」と呼ばれることがある、と聞くと、季節の比喩はさらに生き生きします。雷は、背中を押す音として鳴るのかもしれません。自分の中の小さな臆病さを揺らし、「大丈夫、そろそろ起きよう」と告げる合図。啓蟄は、自然が動き出す記念日ではなく、“動き出していい自分”を許可する節目です。予定の立て直しでも、学び直しでも、誰かに会いに行くことでもいい。土を割って出てくるのは虫だけではなく、言いかけて飲み込んだ言葉や、先送りした願いかもしれません。
啓蟄の「ひらく」は、勢いよく扉を蹴破ることではなく、凍った鍵穴が溶けて、回るようになることに近い。ひらく速度は、人それぞれでいい。けれど、ひらく方向だけは、季節がちゃんと教えてくれます。足元のいのちに気づけた日、あなたの春はもう始まっています。
啓蟄や畦のひび割れ光満つ
啓蟄や鍬ひと振りで雲ほどけ
啓蟄やまだ無口なる芽のしずか
(ジャーナリスト 井上勝彦)2026-02




