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余計な濁りが引いていく「清明」

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 四月の初め、朝の光が少し強くなり、影の輪郭がきりっと締まる日があります。風は冷たさを名残として抱えながら、匂いだけはもう春の奥へ進んでいる。見上げた空が、ただ青いのではなく「青さそのものが澄んでいる」と感じられる瞬間——この感覚に、季語「清明」はよく似ています。
 清明は二十四節気のひとつで、春分の後十五日、陽暦でいえば四月五日頃に当たり、晩春の季語としても扱われます。説明には「春になり万物が清らかで生き生きとしていることをいう」とあり、言葉がそのまま季節の体温を持っているようです。
「清明」の由来は、万物が清らかで生き生きとした様子を表す「清浄明潔」という言葉を訳したものだとされ、花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み、爽やかな風が吹くころだと語られます。つまり清明は、自然の“見通しの良さ”が世界の隅々まで行き渡る季節なのです。 
 清明の面白さは、晴れて気持ちがいい、という気分の話だけで終わらないところにあります。七十二候では、まず「玄鳥至(つばめきたる)」——冬を越したツバメが海を渡ってやって来て、農耕の季節の始まりを告げる。次に「鴻雁北(こうがんかえる)」——冬を日本で過ごした雁が北へ帰っていく。そして「虹始見(にじはじめてあらわる)」——空気が潤い、虹が見え始める。移動と帰還、そして光の現象までが、短い期間に折りたたまれているのが清明です。
 そして清明は、暮らしの暦でもあります。春キャベツやアスパラガスなどの春野菜、桜エビやさわらといった海の恵み、いちごやグレープフルーツなど、季節の食卓がいちばん「色」で語りかけてくるころ。行事としても、花まつりや入学の季節、お花見、十三参り、沖縄の清明祭(シーミー)など、人の営みが“新しく始まる”方向へ揃っていきます。
 清明の「明」は、光量だけの話ではありません。心のほうの明るさ、つまり“余計な濁りが引いていく感じ”を含んでいる気がします。新年度の慌ただしさの中で、予定表はにぎやかでも、空だけは静かに澄み、こちらの呼吸を整えてくれる。自然が先に整い、人がそれに追いつく。そんな順番が、四月にはあるのかもしれません。
 だから私は、清明のおすすめをひとつだけ挙げるなら、「遠回りして帰る」です。ツバメの帰還や雁の北帰行を思い出しながら、一本違う道を歩いてみる。すると、名も知らない花が咲いていたり、風が光って見えたりする。清明とは、世界が清らかで明るいのではなく、清らかさと明るさに“気づける自分”が戻ってくる季節なのだと思います。

清明や初虹かかる川浅し
清明や新じゃがこぼるる土の香よ
清明や北ゆく雁に雲ひとつ
清明や遠回りする朝散歩

           

(ジャーナリスト 井上勝彦)2026-04

 

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