●江戸患いと大阪腫れ
江戸時代、日本は世界でも珍しい平和で成熟した都市文化を築いていました。しかし、その華やかさの裏側で、都市生活者たちを苦しめる謎の病気があったのです。
その病は、江戸では「江戸患い(えどわずらい)」、大阪では「大坂腫れ(おおさかばれ)」と呼ばれる、手足がしびれ、むくみ、最悪死に至る病、「脚気」です。
現代でこそ「ビタミンB1不足による脚気」だと判明していますが、当時は原因不明の死病。この病への向き合い方の違いが、江戸の「蕎麦文化」と大阪の「うどん・副食文化」の差を決定的なものにしたのです。
●江戸:白米への憧れが招いた「贅沢病」
さて、江戸時代、江戸っ子は精米された真っ白な米を食べることが誇りであり、粋とされていました。
しかし、米は精米して糠(ぬか)を取り除くと、「白米と書いて粕と読む」がごとく、大切なビタミンB1がほとんど失われてしまいます。おかずをあまり食べず、大量の白米を主食にする江戸の食習慣は、深刻なビタミン欠乏症、脚気を引き起こしました。
田舎から江戸に来ると足元がおぼつかなくなり、江戸を離れると脚気は治る謎の病気でした。
●蕎麦という名の「特効薬」
そんな江戸で、救世主となったのが蕎麦でした。
実は、蕎麦には白米の約4〜5倍のビタミンB1が含まれています。さらに、毛細血管を強くし血圧を下げる効果がある「ルチン」というポリフェノールも豊富です。
江戸っ子たちは科学的な知識こそありませんでしたが、「蕎麦を食べると脚気が良くなる」ということを経験から学んでいたのです。
また、せっかちな江戸っ子にとって、うどんよりも茹で時間が短い蕎麦は、仕事の合間に屋台でサッと手繰(たぐ)るのに最適な「ファストフード」でした。こうして、健康と気質の双方に合致した蕎麦は、江戸のソウルフードとなったのです。
●大阪:「食い倒れ」が救った大坂腫れ
一方、西の都・大阪はどうだったのでしょうか。大阪でも白米は好まれましたが、江戸ほど「白米一辺倒」にはなりませんでした。
大阪は「天下の台所」と呼ばれ、日本中からあらゆる食材が集まる物流の中心地。昆布出汁をベースにした豊かな食文化が根付いており、主食だけでなく、野菜や豆類、魚介類といった「おかず」をしっかり食べる習慣がありました。
大阪で脚気が江戸ほど深刻化しなかった理由と、蕎麦がそれほど流行らなかった理由にはいくつかあります。
大阪では小豆(あずき)を煮たものを食べたり、白米に麦を混ぜた「麦飯」を食べたりする習慣が江戸より一般的でした。小豆や麦にはビタミンB1が豊富に含まれています。
西日本は良質な小麦の産地が近く、また商人の町である大阪人にとって、白米より安い麦を混ぜることによって節約にもなったのです。
大阪の人々にとって、「蕎麦よりうどん」で、不足する栄養は「豊富なおかずや雑穀」で補うというスタイルが確立されていたのです。
●蕎麦湯の智慧:最後の一滴まで栄養を
蕎麦を愛した江戸文化の中で、最も合理的な知恵と言えるのが「蕎麦湯」です。
蕎麦に含まれるビタミンB1やルチンは水溶性のため、茹でている間にその多くが茹で汁に溶け出してしまいます。江戸の蕎麦屋では、食後にこの蕎麦湯を飲むことがセットで定着しました。
「蕎麦湯」は、まさに溶け出したビタミンを余さず摂取するための生活の知恵。これによって、江戸っ子は美味しく、かつ効率的に「江戸患い」から身を守っていたのです。
ちなみに関西で生まれ育ったぼくは、蕎麦湯というものを知りませんでした。東京でざる蕎麦を頼んだとき、白濁したお湯が出てきて「これはなんだろう?」と、思ったことがあります(苦笑)。
●現代にも通じる「蕎麦の力」
現代の私たちにとっても、蕎麦のパワーは計り知れません。
疲労回復: ビタミンB1が糖質をエネルギーに変え、夏バテや疲労を解消。蕎麦は、うどんに比べてGI値(血糖値の上昇度)が低く、太りにくい食材。美肌、血管ケア、 豊富な食物繊維とルチンが、内側から体を整えます。
江戸の粋を感じながら、キリッと冷えた蕎麦をたぐり、最後は熱々の蕎麦湯で締める。
大阪の出汁文化に敬意を払いつつも、江戸っ子が蕎麦に託した「健康への願い」を思い浮かべると、いつもの一枚がより深く、美味しく感じるはずです。
(巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家)




