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具体的に国民に提示する能力

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0901_3「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば新潟に雪は降らない。そしてその土を日本海に運んで佐渡と陸繋ぎにしよう」

これは、言うまでもなく、故田中角栄元総理の、初立候補の折の発言ですが、このことの現実性は別にして、私は政治家とはこういうふうに、たえず、国民に「具体的な形」で訴えていくべきものだと思うんです。

マキャベリは「民衆は抽象的なことには判断能力を有さないが具体的なことには割と的確な判断をくだす」と言いましたが、だからこそ政治家と名が付く立場の人たちがやるべきは、「どうせ言ってもわからないんだから、愚民に説明しても無駄」・・・ではなく(最近は随分、マシになってきましたよね。)、争点を極めて具体的な形にして国民に提示してやるべきだと思うのです。つまり、そこまでが民主主義国家に置ける政治家の仕事だ・・・と。

吉田 茂元総理の「戦争に負けて外交に勝つ」などは、それほど、具体的な形を有しているわけではないものの、敗戦にうちひしがれていた国民をハッとさせるには充分だったと思われ、その意味では、「具体的」な範疇に入れても良いものだろうと思います。(岸 信介元総理の「日米新時代」なども、その是非はともかく、その類に入れて良いでしょうか。)

逆に、池田勇人元総理の「所得倍増」などというのは一見、わかりやすそうに見えて、いざ、じゃあ、どうやったら俺たちの所得が倍になるの?という点では極めて曖昧模糊としており、それでは国民に提示する上では具体的なものだったとは言い難いでしょう。(さらに、村山富市元総理の「人に優しい政治」・・・などに至っては、もう、曖昧以外の何ものでもない)

この点で、小泉純一郎元総理のやりかたを「小泉劇場型」などという、単なる奇術、詐術の類いだと言わんばかりに批判・・・というより、見下すような有識者と名が付く人々が居ますよね。ですが、小泉さんの郵政解散などは、事の是非はともかく、極めて、主張が明確でわかりやすかったですよ。

「国の財政が破綻しかかっているときに、どうして、20万人もの郵便局員を公務員にしておかなければならないのか?」と。「民間に任せられる部分は民間に任せればいいじゃないか。どうして、国でやらないといけないのか」と。

その意味で言えば、郵政解散に置ける野党の大敗というものは、「ろくに自分で判断など出来ない愚民どもが劇場型政治に躍らされた結果」などと言うのではなく、野党には小泉さんほどに政策を具体的な形で提示できる人がいなかったがゆえの敗北・・・と見るべきでしょう。政治家は、課題というものを絶えず具体的な形にして国民に提示する能力が求められているのだと思います。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2009.01

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