寒い日が続き、温かい春が待ち遠しい二月。春を呼ぶイベントが、日本古来から行われている。節分だ。昔は節分の次の日の立春を新年としていて、新しい年を迎える前に家の中を清める必要があり、豆を撒くなど邪気払いをしたのが節分の始まりという。玄関先には、鬼の嫌う、尖った柊の葉や臭いのきつい鰯の頭を差して、家の中に入れないようにするのだ。
豆撒きにも、色々と作法があるようで、炒った後は三方に入れて神棚に供えて、家族が揃ってから、年男か家長が下から上に向って撒くなど、単に撒けばいいだけではないようだ。近頃では衛生面から、カラのついた落花生を撒くこともあるようだが、これでは豆撒きの意味がない。大豆を撒くことにも意味がある。まず、大豆を炒る音が、鬼は嫌うと伝えられているし、数え年と同じだけ撒いた豆を食べることにより、無病息災を祈るのだ。
鬼は、丑寅の方角、つまり北東からやって来ると言われている。いわゆる、鬼門だ。この方角からやってくるから、牛の角を生やし、虎のふんどしを締めている鬼のキャラクターが出来上がった。
節分の時期は、西高東低の気圧配置になり、冷たく乾いた空気が日本に滑り込んできて、体調を崩しやすい。裏鬼門・北西から表鬼門・北東に、風が抜けていくのを肌で感じた昔の人は、鬼が活発に動いていると思ったのではないだろうか。だからこそ、畑の肉と呼ばれる栄養満天の大豆を食べ、体の中から鬼を追い出そうとした。
昔は正体の見えない悪いモノを「鬼」と呼んだ。今はその正体は、徐々に明らかに成ってきていて、恐がることも無くなってきた。けれども、先人がこの時期に体を大切にしたということを、心に留めておきたい。気候だけでなく、年末年始の暴飲暴食で疲れている体を労わり、温かく活動的になる春に備える。節分を、ちょっと今までの生活を振り返る日にしてみても、いいのではないだろうか。
(講談師 旭堂花鱗/絵:吉田たつちか)2006.02