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母の胎内・町石道 

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10-06-4慈尊院
「大師に会いたい母の思い
時を超えて今もいきづく」
高野の山懐に抱かれるように女人高野別格本山慈尊院がある。ご本尊は阿弥陀仏坐像である。
「母なくして子なし
子なくして母なし」
大師も御母公あっての大師なり。
文字通り高齢の母君が善通寺から和歌山の高野山まで、我が子に会いたくて遠い道のりを来られたが、女人禁制の高野山への入山は許されず、ここ慈尊院へお迎えをされた。
大師は月に9度、20数キロの山道を母君を訪ねられたので、ここの地名を九度山と呼ぶという。母君はきっと夏の暑さにも冬の寒さにも大師のことを思いながら、慈尊院から奥の院へ続く町石道眺められたのではないだろうか?
承和2年2月5日、御母公は入滅された。御年83歳。千年以上も経った今も、御母公の像は20数キロ離れた高野山奥の院の大師御廟を見つめておられる。
母の心が静かな慈尊院の境内に今も息づいている、そんな気がしてならない。千年前、大師は白い犬に導かれて高野山へ登られた。慈尊院では白い犬のゴンの話はあまりにも有名である。住職がゴンの話をしてくださった。 大師の祈りの道、町石道を奥の院へ参拝される人々を 道案内してきたという。常に50メートル先を、後ろを振り向きながら大門まで6、7時間の登り道を案内した。マムシが出る場所では吠えて知らせるという。
大門まで無事に送れば、振り向きもせず一目散に下り、3時間半かかって慈尊院へ戻って来たそうだ。ゴンは大師を案内したという白い犬の生まれ変わりなのだろうか。白内障で眼が見えなくなったゴン。4、5年前からは歩けなくなった。日本全国の沢山の人たちから心配されながら、去年の6月5日に亡くなった。奇しくも5日は大師の母君の月命日である。
今、山門では白い毛のむくむくのカイが可愛い愛嬌を振りまいている。カイが慈尊院へ来たのが3年前の6月5日なのである。大師を慕いながら町石道を登る人たちが迷わないようにと、御母公の大師への思いがゴンに道案内をさせたのであろうか?「町石道の一番目の卒塔婆は丹生官省符神社の石段の右にありますが、ゼロのスタート地点はここ慈尊院の弥勒堂なのですよ」と住職が話してくださる。母の胎内で命が生まれ、ゼロ地点で、もう始まっている。 スタートは「1」ではなく「0」なのだ。人生の大切な節目はすべて「かぞえ年」。死後の法事も「かぞえ年」であることを、住職は団体客の参拝でお忙しいなか、話をしてくださった。
今の世の中、IT時代の到来で何事もスピードが要求される時代だ。だからこそ、時には命の不思議を考える一日をつくってみよう。
住職のお話の中に、心の中に忘れていた何か何かを気づくことだろう。千年以上も前に大師が歩かれた町石道。その同じ道を自分の内側に話かけながら歩いてみるもの、また違った自分に会えるかもしれない。木の葉づれの音や、高野の山から吹く風が、耳元でささやく声を肌で感じる。

(文:まこちゃん/絵:吉田たつちか)2016-06

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