冷たい北風が吹き続けるこの季節。梅の開花の便りが待ち遠しくなってきました。日本各地に梅の名所があり、休日には美しい白梅や紅梅を見に出掛けたくなります。
梅は中国からもたらされたと考えられています。いつ、どのように伝来したのか、はっきりとは解っておらず、梅の実を食べた渡り鳥が種を運んだとか、弥生時代に米と一緒に持ち込まれたなどの説があります。しかし、平安時代までには人々に親しまれるようになっていました。その証拠に万葉集に数々の梅の花を用いた和歌が残されています。
梅の花にまつわる伝説で有名なのが菅原道真の話でしょう。菅原道真は平安時代の貴族で学問の神様でもあります。京の都で天皇に仕えていた道真でしたが、藤原氏の陰謀により九州の太宰府に左遷させられます。道真は自宅に植えていた梅の花がとても好きだったので、去り際に「東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘れそ(私がいなくなっても春が来れば梅の花を咲かせるのだぞ)」と歌いました。そして大宰府に赴いたのですが、なんということでしょう。その梅が道真を追って一夜で京都から大宰府まで飛んで来たのです。その梅は飛梅と呼ばれ、今でも太宰府天満宮に植えられています。そして毎年見事な花を咲かせています。
日本では梅を観賞花として楽しむだけではなく、実を梅干しにして食しています。梅干しは道真のいた平安時代からありました。その当時はご飯のおかずではなく、医薬品として使われていました。日本最古の医学書「医心方」に梅干しは解熱作用があり、体の痛みや皮膚の麻痺を治し、下痢を止めると書かれているそうです。事実、村上天皇が病に伏した時、梅干しを食べて回復したとか。梅干しにそんな力があるなんて、知らなかったですよね。戦国時代には喉の乾きをうるおす食べ物として、戦地に向かう武士に持たせていました。
このように重宝する梅干しですから、江戸時代には梅の木を植えることを大名が推奨しました。水戸の偕楽園もそのひとつ。あの素晴らしい梅林は梅干しのお陰で見ることができるのです。ふわふわと花が咲き誇る梅林公園を歩く時、梅干しを思い出してちょっと口の中が酸っぱくなってしまうかもしれませんね。
(コラムニスト 華山 姜純/絵:そねたあゆみ)
2012-2