(絵:そねたあゆみ)
●豊かだった原始時代
我々現生人類ホモ・サピエンスが誕生したのは約20万年前。農耕のはじまりは1万年とも2万年ともいわれていますが、圧倒的に農耕以前の狩猟採集時代、我々がイメージする原始時代が長いのです。
ホモ・サピエンスは頭脳が他の動物に比べて圧倒的に発達しているにも関わらず、19万人から18万年もの長きにわたり、農業を行わず、他の動物と同じような狩猟採集生活を送ってきたのでしょうか?
その答えとして、狩猟採集時代の食糧事情が大変豊かであったことにあります。
狩猟採集時代、ヒトは一か所に定住せず、移動しながら食糧を得ていました。移動した場所にしばらくいて、その周囲の食糧が少なくなったら、また別の場所に移動するという生活です。
日本の場合、狩猟採集生活をしていたのは縄文人と言われています。
「いくら豊かといっても……」
と思う人も多いでしょう。縄文人の生活は、1日2~3時間働いて、あとは遊んだりおしゃべりしていたといいます。狩猟にいくときも、2~3日狩りに行き、獲物が獲れたら、その肉が無くなるまで次の狩猟に行かないという生活。
大きな争いもなく、集団に身分差別もありませんでした。食糧は全員に平等に分配されていました。
日々ストレスに苦しみながら、残業残業の現代人とどちらが豊かなのでしょう?
●狩猟採集民族、縄文人は何を食べていたのか?
そんな縄文人たちは、どんなものを食べていたのでしょう? シカやイノシシなど60種類ほどの獣肉類。
海辺の人たちはマグロやカツオ、タイ、スズキ。川や池などではフナ、コイなど。いま国内で獲れる魚介で食べられるものは、ほぼ食べていたようです。
全国各地に「貝塚」が残っているように、貝類も多く食べていたようです。食べていた貝の種類も豊富で、いろいろな貝類を食べていました。
考えてみれば、現代人は、お店で買える限られえた種類の肉や魚貝類しか食べられないわけですから、ある意味確かに豊かであったのかも知れませんね。
ちなみに貝殻は、穴を空けたりしてネックレスやイヤリングなど装飾品としても使われていました。
南の地方でしか獲れないはずの貝の装飾品が北海道で見つかったりしていますので、これらは交易の品として使われたのではないかと考えられています。
また、貝塚からは、貝を干した痕跡が見つかっているため、すでに魚貝の干物も食べていたようです。
干物は、鮮魚に塩をまぶして作りますが、そうするとタンパク質の質が変わり、魚貝に弾力が出て風味も良くなります。縄文人も美味しい干物を食べていたんですね。
また干物は日持ちすることから、貝殻だけではなく干物も交易されていたかもと推測する学者もいるようです。
主食はクリ、ドングリやトチの実といった木の実。ドングリやトチの実はそのままでは渋くて食べられません。茹でてアク抜きをして、そのまま食べたり粉にして、そこに獣の肉や卵類を練り込み、塩を入れクッキーやハンバーグにして食べたりしていました。
山芋なども食べていて、ドングリや山芋などから豊富な炭水化物を摂り、獣肉や魚貝から豊富なたんぱく質を摂取していました。
他にも縄文式土器を使ってスープやシチューを作ったり、狩猟採集の人たちもちゃんと料理をしていたんですね。
こういったことがわかるのは、いろいろな遺跡や縄文人の骨を分析するから。
例えば『糞石』という排泄物の化石から、どんなものを食べていたかがわかったり、骨を分析することで、どんな食べ物からタンパク質を摂っていたかがわかるのです。
北海道の縄文人は、オットセイやイルカに魚貝からタンパク質を多く摂り、それ以外の縄文人は、イモや木の実から多くのタンパク質を摂っていたことがわかっています。
後に弥生人が日本にやってきて、稲作中心になるのですが、日本人はそれ以前から、イモや木の実などから、多くのタンパク質と炭水化物を摂っていたようです。
●最高26万人いた縄文人 世界狩猟採集民は400万人が限界
縄文人は全国で一番多かった時代26万人もいました。全国で26万人って少ない? いいえ、狩猟採集生活を営むには、広大で豊かな自然が必要です。26万人という数字は、世界の狩猟採集人としては、人口過密状態だったのです。
人類は長く狩猟採集をしながら世界に広まっていきましたが、世界の総人口が400万人まで増えたとき、人類は狩猟採集だけでは文字通り「食べていけなくなった」のです。
食べていけなくなったとき、人類が考え出したものが農耕であったといわれています。(つづく)
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2018-08