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旬を食す

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13-06-2初めて映画を見て感激、自分は映画館を経営して人々を楽しませるのだと心に決めた少年が、その夢を実現し、熱海・伊東・沼津など静岡に10館もの映画館を経営し、日本の映画業界を影で支えた男の自叙伝の編集をお手伝いする機会を得た。
戦後長らく、映画は庶民の最大の娯楽であった。
日大芸術学部出身の彼の後輩達の話も出てくる。その1人である三木のり平が「旬というのは10日間のことでしょう。月に上旬とか下旬とかいうのと同じで、料理の材料になる野菜とか魚が本当においしいのは、1年のうちでほんの10日間しかない。料理屋では、昔から『1つの料理は2旬のあいだに出せ』といわれてますな。つまり、旬の材料を使うってのは、せいぜい20日間だということなんです。」と、熱海の山本旅館での会食時のくだりが書かれている。
家庭菜園をやっていると、旬の意味がよくわかる。採りきれないほど毎日採れていた絹サヤがあっという間に枯れ始め、わずかに残った苺も、虫の餌になっている。
夏野菜の代表であるトマトが次々に赤くなってきた。今では1年中スーパーに並んでいるトマトだが、やはり、露地で完熟した旬のトマトの味は格別で、毎日でも飽きない。キュウリ、ナスも同様、旬が忘れられた野菜だが、燦燦と照りつける強い太陽の光をあびたこの時期の野菜が味はもとより栄養の面でも優れている。シラス漁が解禁され、小アジが安く売っている。旬に採れたものは美味しいだけでなく安いのもいい。
この本にはまた、こう書いてある「昔は色々な物売りの声が聞こえてきたものだ。朝は納豆売りが『なっと、なっと!』と声を張り上げ、豆腐屋はラッパを鳴らしながら朝晩決まった時間に家の前を通った。冷蔵庫のない時分は、むしろ、新鮮なものを食べることができた時代でもある。」
近くにコンビにがあり、冷蔵庫には食材が溢れ、飢餓の恐れはなくなったものの、食材の旬を見失った現代、はたして、我々は贅沢になったのだろうか不幸になったのだろうか?。
原子力の電力も必要でなかった時代の食生活の方がむしろ贅沢に思える今の時代だ。92歳になる彼の後輩達もすでに鬼籍に入り、本を配る人もほとんどいなくなったので、自叙伝は電子ブック化した。今でも毎日裸眼で新聞を読む彼は、ipadを繰りながら自分の若き良き日々を毎日、幸せな気持ちで思い起こしている。
お礼にいただいた信楽焼きの立派な壷に良く似たものに、先日のお宝鑑定団というテレビ番組で1500万円もの高値が付けられた。壷の価値がわからない自分は今、この壷をネットオークションに出品するかどうか躊躇している。壷の旬はいつなのだろうか?
(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)13-07

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